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三輪・纒向遺跡を巡る

2011年11月5日、日本風景街道まほろばツアー邪馬台国・卑弥呼の里「三輪・纒向遺跡を巡る」に参加しました.語り部として松宮 昌樹氏(桜井市教育委員会文化財課主任)が引率されました.午後から雨となりましたが,予定通り約11キロを歩き通しました.コースは以下の通り.

JR三輪駅ー>大神神社一の鳥居ー>芝織田陣屋跡ー>ホケノ山古墳ー>箸墓古墳ー>三輪そーめん山本(昼食)->石塚古墳ー>勝山古墳ー>珠城山古墳群ー>茅原大墓古墳ー>桜井市埋蔵文化財センター

<大神神社一の鳥居(旧鳥居)>
大三輪神社一の鳥居

<織田小学校>
織田小学校
 織田陣屋跡の門を模倣しています.

<ホケノ山古墳>

ホケノ山古墳2


ホケノ山古墳
ホケノ山古墳(王家の意か?)全長80mの前方後円墳.後円部に「石囲い木槨」(瀬戸内東部に祖形)有り.副葬品は画文帯神獣鏡,銅鏃,鉄鏃,鉄剣等.前方部くびれ部にも埋葬施設(木棺)あり.四国に祖形もつ大壺と広口壺が出土.築造は箸墓と同時期.
<説明板>
ホケノ山古墳説明
<大壺>
大壺
<広口壺>
広口壺
<ホケノ山古墳上から箸墓古墳>
ホケノ山から箸墓古墳
<大市墓(箸墓古墳)看板>
大市墓看板

<箸墓古墳>
箸墓拡大

箸墓古墳1

箸墓古墳

<石塚古墳>
ishizuka

石塚古墳

<勝山古墳↓>
勝山古墳看板

勝山古墳

<矢塚古墳↓>
矢塚古墳


<珠城山古墳群>
珠城山古墳群説明

玉城山古墳群

<珠城山古墳附近:山辺の道>
珠城山古墳附近

<霞む三輪山>
霞む三輪山2

霞む三輪山2



<茅原大墓看板>
茅原大墓看板

<茅原大墓>
茅原大墓2


<茅原大墓から丸池>
茅原大墓から丸池

松宮氏によると纒向古墳群の年代は出土土器から3世紀と考えられ築造順序は諸説あるが,
      石塚⇒矢塚⇒勝山⇒ホケノ山・東田大塚・箸墓
と推定される.他に石塚・矢塚・勝山を同時期とする説もあるとのことです.
なお,これ以外にも墳丘が削平され地中に基底部が残っている古墳や方形周溝墓も確認されているそうで,発掘が進めばまた更なる大発見があるかも知れません.纒向からはなかなか目が離せません.今後の調査が期待されます.
 今回のツアーは纒向遺跡発掘調査担当者の名解説付きで,参加者にとって大変贅沢なツアーでありました.おまけに,昼食は柿の葉寿司と三輪ソーメンを頂くという美味しいツアーでした.雨に霞む三輪山は素敵でした.






初期ヤマト政権の王墓群

10月10日に,桜井市・近鉄・JR西日本の3回目のイベントがあり,菅谷文則氏の講演「初期ヤマト政権の王墓群」が桜井市民会館で行われました.大変面白い講演でした. 箸墓古墳の年代について,15年ほど前の台風被害に伴う宮内庁の調査報告などから,260年くらいではないか.卑弥呼の没した年(と年齢)などからすると纒向勝山古墳が卑弥呼の墓でないかと自説を述べていました.年代について1980年頃までの考え方と現在の考え方の変遷について説明がありました.また,歴代女帝,飯豊天皇,独立した陵をもつ古代の皇后について述べられ
,紀記に記載されていない,陵墓を考える場合に,参照する必要があると語られました.

大和路の古代国家形成と葛城・馬見の王たち連続講座

9月27日奈良世界遺産市民ネットワーク主催で,小笠原好彦先生特別連続講座「初期のヤマト王権と馬見古墳群と葛城氏の性格」がありました.講演は,

1.馬見古墳群の新山・佐味田宝塚・島の山各古墳 
2.馬見古墳群は王陵か?
3.葛城氏と葛城襲津彦 
4.古代の葛城氏繁栄とその背景 

の順に行われました.
葛城氏については日本書紀にいくつか記述があり,軍事を司る氏族であったこと,また大和川に繋がる5つの河川の管理で経済力を有していたこと,その勢力を誇示するため河川近くに古墳を築いたとの話が大変興味深かった.5世紀終わりに雄略が葛城氏を滅ぼし,その後,5世紀後半から6世紀にかけて600から700基の巨勢山古墳群が築かれたのは謎とのことでした.益々興味が湧いてきました.
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