FC2ブログ

奈良町界隈 その4(瑜伽神社から大乗院庭園)

瑜伽神社(ゆうかじんじゃ)

  瑜伽神社は奈良市の飛鳥という地域に所在する神社です。飛鳥寺が元興寺として平城京に遷ったとき、元興寺の鎮守社として この地に鎮座しました。祭神は宇迦之御魂大神(豊受大神)です。もとは賀夜奈留美命を祀っていたようです。
 境内に犬養孝先生揮毫の大伴坂上郎女の万葉歌碑が建っています。

 中世は鬼薗山(きおんやま、現奈良ホテルのある山)と西方院山(瑜伽神社のある山)に山城が築かれ、興福寺の大乗院と一乗院が城の攻防戦を繰り返しました。 現在でも、瑜伽神社裏山に西方院山城の土塁が残っており紅葉の名所として有名です。奈良市内には中世の城館が34もあり古戦場となりました。

DSCF7237s.jpg

DSCF7235s.jpg

名勝旧大乗院庭園
 大乗院庭園は禅定院の庭として平安時代に築造されたといわれています。15世紀末に大乗院門跡の尋尊が当時の庭師の第一人者の善阿弥に依頼して改造したと伝えられ、善阿弥関与の唯一の庭園として貴重です。

DSCF7257s.jpg

率川神社(子守明神)
 桜井市にある大神神社の摂社で、593(推古元)年に創祀された奈良市内最古の神社です。6月17日に、大神神社の巫女が笹百合を捧げて舞を神前で奉納し、その後三条通りを行進する「三枝祭」が催行されたところです。

 DSCF7299s.jpg

DSCF7300s.jpg

DSCF7304s_2015062421521892c.jpg

DSCF7302s.jpg

漢国(かんごう)神社
 祭神は園神=大物主命、韓神=大己貴命、少彦名命。境内に饅頭の元祖らを祀る林神社が鎮座する。

DSCF7319s.jpg

DSCF7305s_20150624230129973.jpg

DSCF7306s.jpg

DSCF7307s_20150624230132363.jpg

DSCF7311s.jpg


奈良町界隈 その3(福智院)

福智院(真言律宗清冷山福智院:奈良市福智院町)

 清水通りの坂を下りきった街角に福智院があります。福智院は736(天平6)年に玄昉によって建てられた清水寺(しみずでら)に始まると言われ、その後、鎌倉時代に西大寺の叡尊により再興されました。宗派は真言律宗で総本山は西大寺です。本年4月27日に高野山で西大寺による開創1200年法要が催行され参列する機会に恵まれましたが、そのとき福智院も法要に参加されていたそうです。福智院は玄昉創建の清水寺にはじまるということですから、古い歴史が刻み込まれたお寺であるわけですね。
なお、福智院の本堂と本尊が国の重要文化財に指定されています。

<福智院塀>
 DSCF7245s.jpg

<山門>
DSCF7246s.jpg


<本堂>(国重要文化財)

  本堂は鎌倉時代の建長6年(1254)の建立で国の重要文化財です。外観は重層建築のように見えますが、一重に裳階のついた寄棟造・本瓦葺きのどっしりとした建物です。身舎の部分は桁行・梁間各2間ですが裳階は各4間あります。また、正面に向拝を付けます。

DSCF7253s.jpg

DSCF7250s.jpg

<地蔵菩薩坐像(国重要文化財)>

 本尊の地蔵菩薩坐像(国重要文化財)は桧の寄木造りの丈六坐像で、漆を塗り重ねその上に彩色が施されています。右手に錫杖、左手に宝珠を奉持し、宣字座に坐し、台座の前に裳裾を垂らす古風の像です。像高2.7m、台座からの総高は6.6mもあります。この像は像内の墨書銘により、1203(建仁3)年に僧定心が勧進となり造像されたことが分っています。光背の化仏は560体、六地蔵と本体を入れると567体になり、釈迦入滅後56億7千万年の後に下生するという弥勒信仰に付合します。

<木造地蔵菩薩坐像・福智院本堂>説明板
DSCF7252s.jpg

--------------------------------書き下し---------------------

重要文化財 木造地蔵菩薩坐像(1203年)
重要文化財 福智院本堂(1254年)

 寺伝では、奈良時代に聖武天皇の勅願により玄昉(げんぼう)が清水寺を建立し、その経蔵を鎌倉時代に本堂として再興し、福智院と称したと伝えられています。
 本尊の地蔵菩薩坐像は、像高約2.73mの大作で、威風堂々とし、光背にも千体地蔵を表しています。像内の墨書などにより、1203年に福智庄(現奈良市下狭川町付近)で造られ、1254年に当地に遷されたと考えられます。1283年の『沙石集(しゃせきしゅう)』にも霊験あらたな「霊仏」と記されており、鎌倉時代の南都の代表的な地蔵像です。
 本堂は細部に大仏様(だいぶつよう)を用いることや、本尊の墨書などから、1254年の建立と考えられています。高い内部空間をもつのが特徴で、柱を高い位置で継ぐことなどから、大きな本尊を安置するために前身建物を造り替えた可能性もあり、南都仏教の復興期にあたる鎌倉時代の堂のひとつとして貴重です。
                                                      奈良市教育委員会


奈良町界隈 その2(清水通りを福地院へ)

清水通り

 破石のバス停を出て頭塔の南側に出ると通りは東から西へ下り坂となります。下の地図のように東から福智院にかけて、上清水・中清水・下清水の三町があります。

<清水通り>
IMG_0462s_20150623220344243.jpg

<奈良町散策マップ>
IMG_0460s.jpg

 通りには古い格子や建築構造をもつ町家が並んでいます。この通りの町家の格子は鹿があたっても壊れないよう太くて丈夫な格子となっています。

DSCF7217s.jpg

<古い町家の形式>
DSCF7230s.jpg

736年(天平8年)興福寺の僧玄昉がこの付近に大伽藍の清水寺(しみずでら)を建立したという言い伝えがあります。また清水井という井戸があったのでそこから町名がおこったとも言われています。この通り一帯は豊富な地下水に恵まれ、今も造り酒屋が二ヵ所あります。

<八木酒造場>
DSCF7227s.jpg

DSCF7226s.jpg

<春鹿>
DSCF7258s.jpg

また、界隈の色々な言い伝えのある地蔵尊をお参りをするのも楽しみの一つです。安産祈願のお地蔵さんが多いです。

DSCF7194s.jpg

DSCF7195s.jpg

DSCF7220s.jpg

DSCF7221s.jpg

DSCF7233s.jpg






奈良町界隈 その1(破石)

 奈良町界隈ウォーキングの出発点は奈良交通市内循環バス停留所の「破石」(わりいし)です。JR奈良駅または近鉄奈良駅からバスに乗り10分程で到着します。 ウォーキングの行程は以下の通りです。

 破石→清水通り→汗かき地蔵→大乗院庭園→十輪院→采女神社→ならまち格子の家→率川神社→不動堂

破石は飛火野・志賀直哉邸・新薬師寺も近く、春日奥山や柳生街道への出発点です。

DSCF7201s.jpg

破石(わりいし)
 人力車業を営む「やまとや」の敷地の裏庭に大きな割れ目の入った石があります。奈良時代に西大寺東塔の礎石を作るとき酒をかけて石を砕ったところから「砕石(わりいし)」とよばれ、これが地名になったという言い伝えがあります。
 

一説では、この石の表面に刻み込まれた十字の溝が境界を示すものと言われます。東南は藤原氏、南西は吉備氏、東北は安倍氏の領地であったとされます。この石に触れると祟りがあると伝えられてきました。
 境界が石であるので勝手に動かさないための戒めであったようです。

<砕石>
DSCF7214s.jpg

DSCF7210s.jpg


頭塔(国史跡)

 破石町バス停付近から奈良町に通じる清水通りに入るとすぐに国史跡の頭塔があります。 奈良時代の僧玄昉の頭部を葬った古墳であるとの言い伝えがありましたが、これは767年に東大寺の実忠が建立した仏塔であることが『東大寺別当次第』に記載されています。 2000年に修復が完成し、方形七段に築かれた土塔の姿がよみがえっています。奇数段に石仏(国重要文化財)が安置されています。天平時代の仏画に見られる三尊仏、独尊仏、五尊仏が刻まれています。
なお、頭塔の石仏のうち一基が大和郡山城の石垣として使用されています。

<頭塔>
DSCF7203s.jpg

DSCF7198s.jpg


<石仏>
DSCF7206s.jpg

 




プロフィール

青龍

Author:青龍
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
萩 (2)
訪問者数
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR