山の辺の道の風景
先日、山の辺の道を海石榴市から黒塚古墳まで歩いてきました。山の辺の道は海石榴市から石上神宮を経由して奈良坂まで続きます。崇神天皇は磯城瑞籬宮に都を構えましたが、その御陵は天理市の柳本古墳群にある崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのへのみささぎ))に比定されています。古墳の名称から古くから山辺道があったことが分ります。
大美和の杜展望台
狭井神社近くの柿山展望台から大和三山が香久山、畝傍山、耳成山の順に一直線に並んで見えます。大神神社祈祷殿前に歌碑の広場があります。その中に、黛敏郎揮毫の五線譜の歌碑があります。日本武尊作「大和は国のまほろば たたなずく青垣 山隠れる 大和しうるわし」に曲が付いています。 黛敏郎氏は犬養孝先生の教え子で、万葉集に造詣が深かったそうです。日本武尊は纒向日代宮を都とした景行天皇の息子です。三重亀山市近くの能褒野で、死に臨んで詠んだ望郷の歌です。

大神神社の大鳥居は法隆寺の五重塔と同じくらいの高さがあります。
背後は左が金剛山、右が葛城山です。金剛山から続くダイヤモンド・トレールは葛城山を経由して二上山へと続きます。

桧原神社
最近、桧原神社の三つ鳥居が新しくなりました。伊勢神宮で使われていた材を使って新しく建替えられました。

水森かおり歌碑
桧原神社から石段を下り、二上山の方向へ数十メートル行くと左手に水森かおりさんの歌碑がありました。ひと際立派な歌碑で少し驚きました。

大和路の恋という歌だそうです。

秀麗な三輪山はここから先は見えなくなります。
山辺の道では歌碑と三輪山が最もきれいに見える場所です。

大和三山が重なって見える場所

大美和の杜展望台
狭井神社近くの柿山展望台から大和三山が香久山、畝傍山、耳成山の順に一直線に並んで見えます。大神神社祈祷殿前に歌碑の広場があります。その中に、黛敏郎揮毫の五線譜の歌碑があります。日本武尊作「大和は国のまほろば たたなずく青垣 山隠れる 大和しうるわし」に曲が付いています。 黛敏郎氏は犬養孝先生の教え子で、万葉集に造詣が深かったそうです。日本武尊は纒向日代宮を都とした景行天皇の息子です。三重亀山市近くの能褒野で、死に臨んで詠んだ望郷の歌です。

大神神社の大鳥居は法隆寺の五重塔と同じくらいの高さがあります。
背後は左が金剛山、右が葛城山です。金剛山から続くダイヤモンド・トレールは葛城山を経由して二上山へと続きます。

桧原神社
最近、桧原神社の三つ鳥居が新しくなりました。伊勢神宮で使われていた材を使って新しく建替えられました。

水森かおり歌碑
桧原神社から石段を下り、二上山の方向へ数十メートル行くと左手に水森かおりさんの歌碑がありました。ひと際立派な歌碑で少し驚きました。

大和路の恋という歌だそうです。

秀麗な三輪山はここから先は見えなくなります。
山辺の道では歌碑と三輪山が最もきれいに見える場所です。

大和三山が重なって見える場所
