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高野山五坊寂静院 

 高野山の浪切不動の近くに五坊寂静院があり真言宗の寺院です。日蓮上人が遊学した場所に建っています。この近くに不動堂が建ち、お堂に八大童子像と不動明王像が安置されていたそうです。不動堂は壇上伽藍に移築され、仏像は霊宝館に移されました。 その後、五坊寂静院の伽藍は1940年の火災で全焼しました。現在の本堂は1967年に斑鳩の中宮寺の旧本堂を移築し再建したものです。

斑鳩では屋根は瓦葺きでしたが、住職のお話では高野山の冬は寒く、マイナス10度近くになることもあり、瓦が凍てて割れることがあるので銅板葺にしているとのことでした。高野山の冬は厳しいそうです。高度900メートルありますからね。

中宮寺の本堂は元々西向きに建っており、ご本尊の如意輪観世音菩薩が安置されていました。 会津八一の歌は本堂が西向きの状態のときに詠まれました。 中宮寺本堂の新営にともない使われなくなった旧本堂が五坊寂静院に移築されました。

なお、現在の中宮寺の建物は高松宮妃殿下の発願により、吉田五十八氏が設計し、1967年(昭和43年)に落慶なりました。

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<五坊寂静院山門>
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<本堂(中宮寺本堂移設):東向きに建つ>
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<本堂正面の額>
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<鬼瓦に菊の紋章>
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高野山 徳川家霊台

 高野山における徳川家の霊廟は奥の院ではなく南院(浪切不動尊)にあります。三大将軍徳川家光が1635年に大徳院(現在の蓮花院)に祖父家康と父秀忠の霊廟を建てました。日光東照宮に先立って建立された建物で、右が家康の霊屋、左が秀忠の霊屋で両霊屋とも三間四方の一重宝形造りで、重要文化財に指定されています。

霊屋の内部はガラス越しに見ましたが、金銀蒔絵極彩色飾金具などで華やかに飾られています。

<別格本山南院、波切不動尊>
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<徳川家霊台への参道>
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<説明板>
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<徳川家康霊屋>
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高野山龍光院 瑜祗塔

 5月11日、また高野山へ行ってきました。今回高野山の隠れた見どころとして龍光院の「瑜祗塔(ゆぎとう)」を見てきました。瑜祗塔が現存するのは、日本では高野山と徳島県の薬王寺(四国88箇所霊場第23番札所)の2カ所と聞いております。

瑜祗塔の正式名は金剛峯寺楼閣瑜祗塔であり、真言宗の大事な経典「瑜祗経」に基づくものです。高野山の瑜祗塔は多宝塔で円筒形の厨子と四角の一重の屋根を備え、屋根の真ん中の高い相輪から屋根の4隅に立つ相輪へ鎖が繋がれ、全部で五個の相輪が屋根の上にあり、とても美しい形をしています。

 実はこの瑜祗塔、法隆寺金堂の日本最古の四天王像の一つ国宝・多聞天像が右手で支えもつものが瑜祗塔で、他に類例がありません。また、法隆寺夢殿の秘仏で国宝の救世観音像(現在、春季開扉中、5月18日閉扉)の光背の上部に刻まれています。法隆寺では空海が招来する以前から真言密教が講じられていたと聞きます。今回高野山で瑜祗塔を真近で見ることができ大変興味深かったです。

<木立から垣まみる瑜祗塔>
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<瑜祗塔中央の相輪と鎖>
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<円筒厨子と屋根裏と相輪>
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<相輪と鎖>
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高野山開創1200年 その2

高野山では帝塚山大学西山厚教授の空海と叡尊についてのお話がありました。空海(774-835)は平安時代初期の僧侶で略歴は次の通りです。

774年: 空海(弘法大師)は香川県善通寺市で郡司佐伯直田公の子として生まれる。真言宗の伝説では誕生日は中国の密教の大家、不空の入滅の日の6月15日とされ、不空の生まれ変わりだとされています。
なお、聖徳太子は574年生まれなので、弘法大師はそのちょうど200年後に生まれたことになります。聖徳太子の生まれ変わりとも言えるのではないでしょうか。

788: 14歳で平城京へ上る。15歳で母方の親族の阿刀大足について論語などを学ぶ。

792年:18歳で都の大学寮に入ったが、奈良仏教に飽き足らず、山へ入って修業し、独学で大日如来の教えである大日経教を学ぶ。やがて、中国に渡って密教の教えを学びことを決意する。

804年:遣唐使船で中国に渡る。乗船した第一船は福州に流れ着き一行は50日間足止めをくったが、空海の代筆によって上陸が認められ、長安に入った。

805年:唐長安の青龍寺の恵果和尚を訪ね約半年間密教を学ぶ。7か月後に恵果は入滅する。

806年:10月空海は無事帰国し、大宰府に滞在する。

809年:醍醐天皇即位。

816年:醍醐天皇より高野山を下賜される。

823年:京の都に東寺を賜る。

835年:高野山で入定。

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2015年4月27日壇上伽藍

<根本大塔>
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<御影堂>
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<西塔>
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2015年4月27日 金剛峯寺
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<金剛峯寺持仏御本尊開帳:弘法大師坐像>
16年ぶりの御開帳です。若々しいお姿をされていました。
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2015年4月27日奥の院

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<御廟・燈籠堂:奥のお堂>
午後4時から萬燈会が行われました。
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高野山開創1200年法要 その1

2015年4月27日は西大寺による高野山開創1200年法要(4月2日~5月21日)が行われ高野山に行ってきました。
高野山は多くの参拝客が来られていましたが、広い敷地ですので余り混雑観はありませんでした。

中門の四天王像は姿を現わしました。なかなか立派なお像でした。

<再建中門>
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<持国天(修復)>
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<多聞天(修復)>
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<増長天(新造)>
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<広目天(新造)>
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2015年4月27日高野山では、西大寺による高野山開創1200年法要が行われ、300人以上の人々が参拝しました。西大寺中興の祖叡尊によって始められた特別の法会「光明真言土砂加持大法会」が西大寺全山の僧侶の列席のもと、高野山の金堂で執り行われました。

「網維問訊」では五体投地の所作が驚くほどゆっくりした速度で時間をかけて行われました。


金堂
 金堂内陣では昭和9年に大仏師高村光雲(高村光太郎の父)の手で新造されたご本尊薬師如来(阿閦如来)が初めて御開帳されました。触地印(降魔印)を結んでおられました。

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