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吉野山の寺と社をめぐる その5(最終回)

吉野山の寺と社をめぐる その5(最終回)

近鉄奈良駅(バス)→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→竹林院群芳園(昼食)→吉野水分神社→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→(バス)近鉄奈良駅

今回は金峯山寺蔵王堂について報告します。

金峯山寺蔵王堂
 
吉野山の中心をなす寺で、修験道の根本道場として知られ、寺伝によれば673年に役行者が創建したと伝える、金峯山修験本宗の総本山である。 金峯山の寺号は山上ケ岳の山上(さんじょう)と吉野山の山下(さんげ)に散在する多数の寺院の総称であったが、山上ケ岳の蔵王堂が参詣困難であるため、天平年間(729-749)に行基が山下に蔵王権現を祀ったのが金峯山寺本堂(蔵王堂)の始まりである。

 創建以来、上皇、法皇、貴族など参詣するものが多く修験道の霊地として崇敬を集めた。特に平安時代から鎌倉時代にかけて堂塔伽藍が建ち並び多くの僧徒(吉野衆徒)を擁した。源義経はこの勢力に依拠しょうとしたが失敗した。その後、後醍醐天皇をはじめとした南朝が4代57年間続いた陰には、吉野衆徒の支えがあったからだと考えられる。正平3年正月には高師直(こうのもろなお)の兵火で焼失したが再三の復興で現在に至っている。

現在、二王門が修理中で、勧進のため蔵王権現が特別公開されていた。巨大な厨子の扉が開けられ、発露の間から大きな蔵王権現3体を拝顔することができた。右足を挙げた憤怒の表情は誰に向けられたものなのでしょうか?TVで観るのとは違って、青は黒っぽい藍色で大変落ち着きがありました。

文化財

・ 本堂(蔵王堂)【国宝】
  現在の堂は安土桃山時代の天正16年(1588)の再建。桁行5間、梁間6間、裳階が付く。入母屋造、檜皮葺。正面26メートル、側面27メートル、総高27.5メートルにおよび、木造建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大建築である。内部の柱は自然木68本が林立する。本尊は蔵王権現(高さ7.8メートル)、両脇侍とともに厨子に安置されている。

・ 二王門【国宝】
三間一戸の二重門で、入母屋造、本瓦葺き、高さ23メートルの大楼門である。現在の門は康正2年(1456)に再建されたもの。室町時代の二重門の代表として貴重であり、国宝である。門の木造仁王像は胎内銘から延元3年(暦応元・1338)から同4年にかけて、大和高田の領主高田兵庫頭入道宗貞が施主となり、大仏師康成が造立したことが明らかになっている。像内納入品とともに県指定文化財に指定されている。

・ 大和国金峯山経塚出土品【国宝】

・ 木造蔵王権現立像(4体)【国重要文化財】
・ 銅燈籠【国重要文化財】
 
本堂正面の銅燈籠は文明3年(1471)の銘があり、国指定重要文化財である。
・ 木造聖徳太子立像【国重要文化財】
・ 木造童子立像(2体)【国重要文化財】
他多数

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<蔵王堂>
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<四本桜と銅燈籠>
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<大塔宮陣地跡>
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<村上義光公忠死之所碑>
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<天満宮>
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<愛染堂>
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吉野山の寺と社をめぐる その4

吉野山の寺と社をめぐる その4

近鉄奈良駅(バス)→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→竹林院群芳園(昼食)→吉野水分神社→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→(バス)近鉄奈良駅

2004年7月7日に和歌山・奈良・三重の3県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、今年で早くも10周年を迎えました。各地で世界遺産登録10周年を記念する行事が行われています。奈良県の吉野・大峯エリアでは吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺が世界遺産に登録されています。

春の桜見物は吉野駅から七曲道を登って花矢倉・吉野水分神社まで往復歩きましたが、今回吉野山ではタクシーで移動しましたので、効率的に移動することができました。また、吉野林業とか地元の人しか分からないこともドライバーさんから聞くことができました。

さて、今回は吉水神社について報告します。

吉水神社

〔祭神〕 後醍醐天皇、楠木正成、宗信

吉水神社はもとは吉水院(よしみずいん)と呼ばれおよそ1300年前に役行者が創建した格式の高い修験宗の僧坊の1つでしたが、明治8年に神社に改められました。

吉水神社は文治元年(1185)源義経と静御前が弁慶とともに身を潜めた地として歴史に登場します。
その後、延元元年(1336)後醍醐天皇が吉水院宗信(そうしん)の援護のもと、吉水院を行宮とされ南朝の皇居とされました。
ときが過ぎ、文禄3年(1594)太閤(豊臣)秀吉が吉野で花見をしたとき、吉水院を本陣とし数日間滞在しました。吉水神社はこのようにたびたび歴史に登場する重要な地でした。


文化財

・ 書院(国重要文化財)
  日本最古の書院としてユネスコの世界遺産に登録されている。室町時代初期の様式で床棚書院の初期の様式を伝える義経潜居の間、桃山時代の様式である後醍醐天皇玉座の間などがある。

・御消息紙本墨書(伝後醍醐天皇宸翰、国重要文化財)
・ 色々威腹巻(伝義経所用、国重要文化財)


 その他歴史ある吉水神社の文化財の豊富さには驚かされます。

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<従是吉水院の碑>
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<階段参道>
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<吉水神社山門>
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<1目千本>
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<山門2>
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<秀吉花見の本陣標柱>
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<書院>
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文化財
<後醍醐天皇玉座の間>
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<義経潜居の間>
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<弁慶思案の間>
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<色色威腹巻>(源義経所用、重要文化財)
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<後醍醐天皇御旗>
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<豊太閤吉野之花見図>
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<豊太閤愛用金屏風>
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<豊臣秀頼公寄進湯釜>
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<豊臣秀吉寄進銅鐸他>
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吉野山の寺と社をめぐる その3

吉野山の寺と社をめぐる その3

近鉄奈良駅→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→竹林院群芳園(昼食)→吉野水分神社→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→近鉄奈良駅

今回は吉野水分神社について報告します。

吉野水分神社

 花矢倉展望台から100メートルほど坂道を上ると、赤い鳥居と急な階段上に楼門が見えてくる。この神社が江戸時代に本居宣長がお礼参りに何度か松阪から訪れた子守明神としてよく知られた吉野水分神社である。豊臣秀頼もこの神社にお参りして授かった子であるといわれており、神社に秀頼寄進の宝物が供えられている。

延喜式内大社であり、吉野八社明神の1つ、また大和国四所水分社の1つである。
水分は「みくまり」と訓み、水配りを意味し分水嶺に鎮まる神を意味する。創祀は不詳であるが、古くは芳野水分峯神として吉野山山頂の青根ヶ峰(867.9m)に鎮まり、音無川、秋野川、丹生川、象川(きさがわ)の分水嶺に拝所があったと伝えている。「続日本紀」文武天皇2年(698)4月29日条に、馬を芳野分水嶺の神に奉って雨乞いをしたとある。
貞観元年(859)正五位下を、1337年後醍醐天皇から正二位を奉っている。

当社は金峯山修験の大峯山75靡の第73靡きの行場となっており、修験者はお祓いをうけます。

現在の社殿は慶長九年(1604)、豊臣秀頼により再建されたものであり、本殿・拝殿・楼門・回廊・幣殿からなり、華麗な桃山建築を伝えており、いずれも国の重要文化財である。

本殿は3つの社を1棟に連ねた三社一棟造りで独特の神社建築である。はじめて訪れたときは山中に華麗な三社一棟造りの神社建築を観て大変感動したことを覚えている。

祭神
 正殿:天水分神(あめのみくまりのかみ)
 右神殿:天万栲幡千々姫命(あめのよろずたくはたちぢひめのみこと)
     玉依姫命(たまよりひめのみこと)
     天津彦火火瓊瓊杵命(あまつひこほほのににぎのみこと)
左神殿:高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
御子神(みこかみ)
 

以上、7つの神像はいずれも平安時代から鎌倉時代の木造である。

文化財
本殿・拝殿・楼門・回廊・幣殿(国重要文化財)
玉依姫命坐像(国宝、非公開)
鎌倉時代の建長3年(1251)宣陽門院寄進と胎内に墨書銘がある。
天万栲幡千々姫命坐像(平安時代初期、拝殿の附指定で国重要文化財)
拝殿の釣燈籠4個(慶長9年(1604)の銘、国重要文化財)

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<鳥居>
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<楼門>
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<楼門の蟇股>
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<本殿>
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世尊寺跡説明板と花矢倉展望台

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吉野山の寺と社をめぐる その2

吉野山の寺と社をめぐる その2

近鉄奈良駅→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→竹林院群芳園(昼食)→吉野水分神社→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→近鉄奈良駅

今回は竹林院について報告します。

竹林院

 寺伝によれば聖徳太子が吉野山にこられたとき一宇の精舎を建て椿山寺と称する。その後、天武天皇が御願施物を寄せられる。弘仁9年に空海が大峯入峰の際に東密道場とした。そして日蔵道賢が中興したといわれる。鎌倉時代に源義経が吉野へ逃れてきたとき、頼朝より追討の書が送られてきた。南北朝の対立後、後小松天皇の勅命により寺号を竹林院に改めた。天正年間(1573~1592)二十三代院主尊祐は弓道竹林流の開祖で、大弓法師と呼ばれる。

竹林院は金峰山律院四院の一つに数えられていたが現在は修験宗の単立寺院となっている。大峯山寺 護持院の一つ、宿坊竹林院群芳園で知られている。 本堂には南北朝期作の聖徳太子坐像を祀っている。

室町時代末期に21世尊祐が大峯山上に竹林院を再興したとき、大峯山の景観を移して庭園を構築したのが群芳園(ぐんぽうえん)の始まりである。群芳園豊臣秀吉の花見のおりに千利休が桃山風に修築し、細川幽斎が改修したといわれる池泉回遊式借景の名園であり慈光院、香藕園とともに大和三名園の一つに数えられる。

文化財
・紙本墨書慶長十九年五山衆試文稿(国重要文化財、奈良博物館寄託)
・伝狩野元信筆夏冬芭蕉屏風・与謝蕪村筆屏風
など
本尊
 不動明王、蔵王権現、役行者、弘法大師


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群芳園
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吉野山の寺と社をめぐる その1

2014年6月4日帝塚山大学の西山厚先生(前国立奈良博物館学芸部長)の案内で吉野山の寺と社をめぐりました。

吉野山は桜のシーズンが終わり、全山緑に包まれていました。訪れる観光客も少なく、静かな雰囲気の中で後醍醐天皇の南朝や楠木正行、源義経、修験者などについて思いをはせました。 コースは次の通りです。

近鉄奈良駅(バス)→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→竹林院群芳園(昼食)→吉野水分神社→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→近鉄奈良駅

今回は訪問した如意輪寺と後醍醐天皇塔尾陵について報告します。

如意輪寺(浄土宗)

 如意輪寺は延喜年間(901~923)に日蔵道賢上人の開基と伝えられます。本堂のご本尊は如意輪観世音菩薩です。今回、本堂に上げて頂きご住職のお話を聞かせていただきました。また、特別にご本尊の如意輪観音を拝顔することができました。ご本尊は極彩色で人を引き付ける魅力的なお顔をされていました。

延元元年(1335)後醍醐天皇が吉野へ行幸し、吉野行宮に過ごされたとき如意輪寺は吉野朝の勅願所となりました。延元4年(1339)天皇は崩御し、裏山の塔尾陵に葬られました。

次帝後村上天皇の正平2年12月27日(1346)に楠木正行一族郎党143人が四条畷決戦に当たり、吉野の宮の天皇に今生の別れを告げ、先帝の塔尾陵に参拝の後、如意輪堂に詣で髻を切って仏前に供え、過去帳に姓名を残し、御堂の扉に鏃でもって辞世の句を残し、四条畷に向かいました。

正中以来お寺は衰退しましたが、慶安3年(1650)文誉鉄牛上人がきて本堂を再興し、真言宗を改め浄土宗として、御陵の守護に任じました。

境内には不動堂、後醍醐天皇御霊殿、多宝塔、宝物殿、鐘楼があります。

<裏門>
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<本堂>
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<本堂側面>
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<寺務所>
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<正門付近>
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<難切不動堂>
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<正門>
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宝物殿

・楠木正行辞世之扉

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 「かゑらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」

・金剛蔵王権現木像(鎌倉時代、運慶の高弟源慶作、国重要文化財)
  国立奈良博物館の調査により、この像は運慶の高弟源慶作であることが分かりました。
・吉野大曼陀羅(県文化財)
・吉野三絶
・後醍醐天皇御祈りの図
・楠木正行公短刀
・ねおがみの観音(天井油絵)
・他50点


<宝物殿>
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後醍醐天皇塔尾陵

 御陵は如意輪寺の裏山にあり、円墳です。後醍醐天皇は病床についたとき、
 「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」
 との遺言にしたがって、御陵は北の京都を向いています。

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<後醍醐天皇塔尾陵>
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<世泰親王墓>
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青龍

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