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裴世清を迎えた道 その7(生田遺跡~雷丘)

桜井市の磐余を後にしてメスリ山古墳前方部そばの急な階段を下って丘陵地帯から平地に出て、生田(おいだ)地区に入りました。安倍小学校を右手に見ながら、生田遺跡群を通り、眺望が優れた丘陵地帯を歩きます。途中、奈良県はまた一つ景観を台無しにする農業大学校を高台に建設中でした。 山田北口で阿倍山田道に合流し、坂道を少し登ると山田寺跡に到着しました。その後、明日香村に入り奥山久米寺跡に立寄り、雷丘に到着しました。推古天皇が裴世清を迎えた小墾田の宮の有力候補として雷丘東方遺跡があげられていますが、実はまだその場所が確定した訳ではありません。小墾田宮の場所について、現在なお諸説が提案されています。

<急な階段>
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<安倍小学校>
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<生田遺跡群>
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<三輪山方面>
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<奈良県立農業大学校建設中>
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<山田寺跡>
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<金堂跡>
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<塔跡>
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<奥山久米寺跡>
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<雷丘付近>
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隋使裴世清を迎えた道 その4(谷首古墳・艸墓古墳・コロコロ山古墳)

安倍文殊院を後にして阿部丘陵の古墳をいくつか訪ねました。

谷首古墳
 史跡阿倍寺跡の東約300mに位置し、奈良県の史跡に指定されている方墳です。南に開口する横穴式石室をもちます。墳丘上に八幡神社の社殿があります。

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現地看板書き下し
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                史跡 谷首古墳
                                 昭和33年3月20日指定
寺川の左岸、多武峰から北に延びる丘陵の北端、阿部丘陵の西辺に位置する。標高100m前後の地点にある方形墳で、谷汲古墳とも呼ばれている。墳丘の各辺は方位とほぼ一致し、規模は現状で、東西約35m、南北約38m、高さ約8.2mである。墳頂部には八幡神社の本殿と拝殿があり、墳丘西側は古墳築造当初の形状を保っていない。
埋葬施設は南に開口する両袖式の横穴式石室であるが、東側の袖が非常に短く、片袖式ともいいうる。石室の規模は玄室長約6m、幅約2.8m、高さ約4m、羨道長約7.8m、幅1.7m、高さ1.8mである。石室は花崗岩の巨石を用いて築かれており、奥壁二石、玄室天井石二石、羨道天井石は四石からなる。
石室内は礫が敷かれており、凝灰岩の細片も見つかっているので、石室内には石棺がおさめられていたようである。古墳の作られた年代は、石舞台古墳や赤坂天王山古墳との比較から6世紀末葉から7世紀初頭頃と推定されている。
   平成2年3月
                                                            奈良県教育委員会
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艸墓古墳(くさはかこふん)(国史跡)
 安倍文殊院の東側300mにある方墳で国の史跡に指定されています。案内板に従って住宅の横の狭い道をはいっていくと開口部にたどり付けます。この古墳は7世紀中頃の造営と考えられています。南東向きに開口する横穴式石室(全長13.16m)は表面を平滑にした巨石を用いて構築されています。玄室には巨大な竜山石製のくりぬき家形石棺(長さ2.4m、幅1.5m)が安置されています。一見の価値があります。

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現地説明板書き下し
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                          艸墓古墳
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墳丘は、阿部丘陵の小突起部を利用した、北西面・東南面がやや長い、長辺が約27m、短辺が約21mの、截頭長方錐形の方墳である。埋葬施設は、南東に開口する両袖の横穴式石室に、竜山石製のくりぬきの家形石棺を安置する。石室の規模は全長13.16m、玄室幅2.71m、同長さ4.44m、同高さ2.0m、羨道は長さ8.72m、玄門部での幅1.9m、高さ1.5mを測る。側壁・天井石の間隙は漆喰を充填する。石棺の規模と石室の規模から、石棺を安置したのち、石室を構築し墳丘を築いたかと考えられる。
                                                      桜井市教育委員会
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コロコロ山古墳(移設された古墳)
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 6世紀後半に築造された一辺30m、高さ5m以上の方墳で阿部丘陵の宅地開発に伴い移築された古墳です。墳丘中央部に第1の埋葬施設があり、東側にも第2の埋葬施設があります。第1埋葬施設は全長11mの横穴式石室で全長11m、玄室の長さは5.35mあります。玄室側壁は4石4段積と推定されます。副葬品として金環や毛抜き刀剣金具などがあります。玄室床上面には小礫が敷かれて釘を打ち込んだ木棺が2つ以上追葬されていた。追葬時期は7世紀中頃から8世紀前半と考えられます。

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裴世清を迎えた道 その2(城島遺跡~谷遺跡)

海石榴市観音を後にして大和川(初瀬川、三輪川)の堤に上がると、馬鹿でかい「仏教伝来碑」があります。馬出橋を渡っていると、河原で裴世清を出迎えた伝説の「飾馬」が出迎えてくれました。この橋を渡った所が磯城嶋です。

<馬出橋から飾馬、正面は外鎌山>
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大和川(初瀬川)と寺川(粟原川)に挟まれた地域に磯城嶋金刺宮が営まれました。推古天皇17年10月8日に新羅使と任那使を迎えた阿斗河邊館や敏達12年に百済の日羅を迎え入れた阿斗桑市の館が粟殿(おうどの)~外山(とび)の初瀬川沿いにあったという説があります。

城島遺跡

橋を渡って人家の間を潜り抜け暫く通りを歩くと、城島小学校にでました。このあたりは城島遺跡の所在地です。
小学校建設に伴う調査で、7間×3間の大型の西庇付建物一棟と3間×3間の総柱建物2棟、塀3条、大溝一条を検出しています。 出土遺物から6世紀末~7世紀半頃の邸宅跡と考えられるそうです(有史会報569号)。

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<跡見橋>
跡見(あとみ)橋の下を流れる川は粟原川である。神武東征の折り、天皇が後を見返したので「跡見橋」という名が付けられたという伝承がある。
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<茶臼山古墳方面>
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谷遺跡

済生会中和病院の増築に伴う発掘調査で遺構が確認されました。その結果、一之坪で5世紀末から6世紀前半に住居群が作られ、その西側に玉造工房が営まれ、その東の六之坪で6世紀以降に豪族居館が造られたものと想定されます。

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裴世清を迎えた道 その1(JR三輪駅~海柘市)

橿原考古学研究所友史会2015年2月15日の例会は「隋使裴世清を迎えた道」を歩きました。

鑑真和上は753年に日本に来られましたが、それより145年も前の608年(推古16年)4月、聖徳太子がその前年の4月に隋に派遣した小野妹子に率いられて、隋使裴世清(はいせいせい)一行が筑紫に到着しました。 そして、6月には難波津に到着し、飾船30艘が彼らを迎えました。難波の高麗館近くに新しい屋形を建て彼らを迎えました。同年8月3日には、恐らく大和川をさかのぼって船で桜井市の海石榴市(つばいち)の衢(ちまた)に到着し、飾り馬75頭が出迎えました。8月12日に裴世清は、飛鳥の小墾田(おはりだ)宮に招かれ、朝廷で信物を献上して国書を読み上げました。

裴世清一行は一カ月余り滞在し、9月5日に難波で饗応を受けた後、11日に第2回遣隋使らとともに帰国しました。

今回のコースは次の通りです。

 JR三輪駅→海石榴市→城島遺跡→文殊院古墳→くさ墓古墳→谷首古墳→上之宮遺跡→中山遺跡→コロコロ古墳→生田遺跡→奥山久米寺跡→雷丘東方遺跡→近鉄橿原神宮前駅

<JR三輪駅集合>
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<三輪の街並み>
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<踏切渡る>
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<三輪遺跡(三輪小学校付近)>
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<天理教敷島大教会付近>
この付近は第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮伝承地の碑が建つ「志貴御県坐神社」に近い場所である。神社境内には万葉歌碑
  「磯城島のやまとの国に人二人ありとし思はば何か嘆かむ」(巻13-3249、山口誓子揮毫)
が建つ。
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<天理教敷島大教会>
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<音羽山と鳥見山>
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<海石榴市:八十の衢>
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<階段を登ると海柘市観音堂>
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<海石榴市観音>
向って右が長谷寺式十一面観音石仏(42.4cm、元亀3年(1572)の銘)、左が聖観音石仏(42.4cm、元亀2年(1572)の銘).
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今回100名を越える大勢の参加者がありましたが、年配の方が多いのにかかわらず、16kmも歩くアップダウンのあるコースで大変でした。 

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