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行基菩薩ゆかりの地を訪ねて(4) 喜光寺

  奈良市菅原町に所在する喜光寺(法相宗 別格本山、住職山田法胤、薬師寺末)は、721年に行基菩薩によって創建された寺院で、東大寺の大佛建立勧進の拠点とした寺院です。 古くは菅原寺とも呼ばれていましたが、聖武天皇が参詣されたとき、ご本尊から不思議な光明が放たれ、喜ばれた聖武天皇より、「喜光寺」という寺号を賜りました。

 行基菩薩は東大寺造営に当たり、喜光寺本堂(重要文化財)を参考にしたとされ、本堂は「試みの大佛殿」として知られています。
行基菩薩は師・道昭の教えを継ぎ、社会福祉事業や、土木事業に傾注し、民衆から「菩薩」と仰がれました。行基菩薩は晩年、喜光寺塔頭東南院にて82才で入寂しました。

近年、喜光寺の境内は、「いろは写経」による多くの人々の寄進により整備が進んでいます。平成26年落慶の行基堂には行基菩薩坐像が安置されていました。

本堂(重要文化財、室町時代、1544年)
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蓮の鉢
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阿弥陀如来像
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行基堂
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行基菩薩像
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喜光寺

垂仁天皇陵から北へ歩き、高架橋の阪奈道路を渡ったところに喜光寺がある。この辺は古くは土師氏の根拠地であり近くに埴輪窯跡菅原東遺跡がある。菅原道真生誕地との伝承がある菅原天満宮も近い。

喜光寺(法相宗)は721(養老5)年に行基によって創建されたと伝えられている。行基は晩年をここで過ごし、749(天平21)年に82歳で亡くなった。

748(天平20)年聖武天皇が参詣した際、不思議な光明が放たれ「喜光寺」と改名した。寺地は土師氏の一族で菅原氏の祖先の寺史乙丸(てらのふひとおとまる)の屋敷が寄進されたものとの説があり古くは菅原寺とよばれた。菅原寺は平城京右京の三条三坊に五坪の寺域をもつ大寺であった。

東大寺の大仏殿は行基が金堂の10倍の規模で作ったと伝承されたことから、喜光寺の金堂は「試みの大仏殿」とも呼ばれる。

境内には蓮の鉢がたくさん並べられており参拝者を楽しませてくれる。

鎌倉時代に大僧正覚昭が入寺以来、一乗院門跡の末寺となり、霊元天皇の子の尊賞親王の墓などが境内の一角にあり、宮内庁管轄となっている。

<南大門と金堂>
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<南大門>
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 ◇文化財
本堂(国重要文化財、室町時代)
 創建当初の堂塔は1499年に焼失し、1544年(天文13年)に再建された。
 薬師寺のように裳階をもつ。上層支輪の辺りに天窓があり、西方の光を取り入れ阿弥陀如来の来迎を模擬している。

<本堂>
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◇ 仏像
本尊 阿弥陀如来坐像(国重要文化財、平安時代、檜材寄木造、像高2.33m)
   平安時代の定朝様式の素晴らしい丈六仏である。
脇侍 観自在菩薩坐像(南北朝時代) 勢至菩薩坐像(南北朝時代)

<阿弥陀三尊像>
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<本尊(重要文化財)>
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<観自在菩薩>
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<勢至菩薩>
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<行基菩薩像>
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47体石仏  
不動明王、観音菩薩、地蔵菩薩、阿弥陀如来など47体の石仏が集められている。

喜光寺西隣の一角
◇一乗院宮墓(宮内庁管轄)
 晩年を喜光寺で過ごした興福寺一乗院宮の墓である。

<尊覚親王墓碑>
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