fc2ブログ

伊賀別所 新大佛寺

 2019年12月16日、西山厚先生同行ツアーで、鎌倉時代の東大寺高僧・重源(ちょうげん)ゆかりの伊賀別所・新大佛寺(真言宗)へ行ってきました。伊賀別所は伊賀上野から津に長野峠越で抜ける旧伊賀街道(現国道163号)沿いにある名刹です。
 
1180年(治承4年)12月28日、平重衡による南都焼打で東大寺は多くの伽藍を焼失しました。翌年、重源が東大寺勧進職に命じられ、復興にあたりました。重源は全国に7別所を設け復興の拠点としました。その一つが伊賀別所です。7別所は以下の通りです。

  東大寺別所、高野新別所、周防別所、播磨別所(浄土寺、阿弥陀三尊像(快慶作))
渡辺別所、備中別所、伊賀別所(新大佛寺)

新大佛寺
 1202年(建仁2年)、重源が後鳥羽法皇の勅願によって源頼朝の協力を得て建てたと伝わる。重源亡き後、寺運は傾き、室町時代には寺跡のみ残すだけとなったが、1716年江戸時代享保年間に藩主藤堂氏の庇護により、僧侶陶蛍が来山して再興した。
寺の創建時には、石の台座に大仏が置かれており、その台座が現在も残されており、国の重要文化財に指定されている。高さ1.1m、周囲が16m余りある。周囲に獅子、童子などが厚肉彫りされている。

本尊:重要文化財 木彫大佛(毘盧遮那如来坐像)
 東大寺大佛再興の時に造られたと伝わる。総高6.1m、頭部は快慶作、身体部は祐慶作(1727年)で後補。

--
境内案内図
IMG_5436j.jpg

新大佛寺山門
IMG_5502j.jpg

境内
IMG_5500j.jpg

大仏殿
IMG_5484j.jpg

ご本尊
IMG_5449j.jpg

台座説明版
IMG_5450j.jpg

石製基壇
IMG_5446j.jpg

新大仏殿
IMG_5442j.jpg

説明板
IMG_5448j.jpg 

摩崖仏 不動明王
IMG_5466j_201912290105275b2.jpg

般若心経
IMG_5470j_201912290105283ff.jpg

鐘楼堂 平和の鐘
IMG_5497j.jpg


芭蕉句碑
 
 丈六に陽炎高し石の上

IMG_5492j_20191229010530ef9.jpg



榊原ななくりの湯 その2

射山神社境内には松尾芭蕉の反古塚が立っていました。看板によれば、松尾芭蕉は奥の細道の旅を終え郷里の伊賀に戻り、榊原に逗留し俳諧を行いました。芭蕉没後20年後に、そのとき芭蕉が残し置いた反古を、伊賀の俳人服部土芳が糸桜の根元に埋め反古塚を建立しました。

芭蕉反古塚
IMG_9403s_201611172349259ec.jpg

看板
IMG_9400s.jpg

説明板
IMG_9393s_201611172349223e7.jpg

IMG_9430s_20161117235817706.jpg

IMG_9397s.jpg


「湯垢離の地」石碑
射山神社出た所に「湯垢離の地」と刻まれた石碑が立っていました。
IMG_9387s_2016111723231916e.jpg

説明版
IMG_9379s.jpg

IMG_9451s.jpg

湯元跡看板
IMG_9454s.jpg

IMG_9455s.jpg

榊原ななくりの湯

 榊原温泉の「湯元 榊原館」で一泊しました。お湯はつるつるとしたアルカリ性の「美肌の湯」で極上のお湯でした。 榊原館では源泉から湧き出す32度のお湯があり、それと沸かした熱いお湯に交互に入るのが良いそうです。 

 榊原の地は大和から伊賀越えで伊勢に入るときの交通の要衝にあり、現在では国道163号線が通っています。榊原温泉は古くから、お伊勢さんの”湯ごりの湯”として利用されてきました。第26代継体天皇の皇女荳角(ささげ)媛が伊勢神宮の斎王のとき、榊の枝を神宮祭祀に使うようになりました。平安時代には清少納言が「枕草子」にて「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と謳っており、地名をとって「ななくりの湯」として呼ばれていました。
 神湯館に隣接して、射山神社があって古くから温泉神社として崇拝されました。

湯元榊原館
IMG_9366s_201611162250053b7.jpg

射山(いやま)神社
IMG_9414s.jpg

拝殿
IMG_9418s.jpg

式内社射山神社由緒
IMG_9405s_201611162250074a9.jpg

榊原温泉の話
IMG_9409s_20161116225008e12.jpg

貝石山
IMG_9479s_20161116225232381.jpg

神湯館
IMG_9472s_20161116225231a1e.jpg

貝石山(特別天然記念物)
IMG_9493s_201611162252345c0.jpg


古代畿内の東極の名張・伊賀・山添から平城京を観るツアー

 2011年10月29日に奈良世界遺産市民ネットワークと山添村観光ボランティアの会共催の「~古代畿内の東極の名張・伊賀・山添から平城京を観る~名張夏見廃寺と毛原廃寺・縄文草創期遺跡の山添ツアー」に参加しました.

浜田博生先生の名解説の下,満席のバスは9:35奈良地裁前を出発し,シャープ天理裏手の岩屋から名阪国道に合流し,針インターで降り,国道165号線室生口大野経由で名張黒田庄から横河に至りました.

名張川と宇陀川の合流点の横河は,古代畿内と東国を分かつ重要な所であり,壬申の乱のとき天武天皇が通過した場所であります.その近くに夏見廃寺があり,伊勢の斎王であった大来皇女が父天武天皇のために建立した昌福寺ではないかと考えられています。

 今回のツアーは聖武天皇が彷徨を開始した740年10月29日を記念して行われました.聖武天皇は壬申の乱で曾祖父の天武天皇が辿った経路を追体験したかった様です.平城京を軍勢1000人を引連れ出立し,都祁の堀越頓宮で一泊し,深野から鹿高を経由して名張郡で宿泊その後,安保頓宮,河口頓宮,壱志郡,赤坂頓宮,朝明郡,石占頓宮,当伎郡,不破頓宮と辿りました.

バスツアーは名張から断層崖経由で山添村に入り岩屋の瓦窯跡や木津川への木材流しの筏貯まりを見学しました.また山添村観光ボランティアの案内で毛原廃寺や大川縄文遺跡の見学をするなど盛り沢山の充実した行程でした.

帰りのバスは山添から奈良へ名阪国道ではなく県道80号線を使った.呉竹精昇堂付近を通り,田原に出て志貴皇子の歌碑がある春日宮天皇陵を通り,山道を下った.高円山ドライブウェイ出口を右に見て新薬師寺近くを通り,正倉院展が始まった奈良国立博物館で浜田先生を降し,近鉄奈良駅で解散した.山添村からは最短最速の経路をとった.さすがは奈良を知り尽くしたベテランの名案内であった.

奈良地裁前ー>都祁ー>室生口大野ー>黒田庄ー>横河ー>夏見廃寺ー>生涯学習施設東豊館ー>毛原廃寺ー>葛尾ー>大川縄文遺跡ー>長寿岩ー>花香坊ー>柳生ー>田原ー>近鉄奈良駅


横河付近(名張川と宇陀川合流点)

大きな地図で見る

夏見廃寺(金堂跡説明)
1-kondosetumei_convert_20111102214729.jpg

夏見廃寺(金堂跡)
夏見廃寺金堂跡

大来皇女歌碑
大来皇女歌碑

犬養孝書歌碑
犬養孝書歌碑

毛原廃寺(碑1)
毛原廃寺碑1

毛原廃寺(記念碑)
毛原廃寺碑2

毛原廃寺(礎石)
礎石

毛原廃寺(礎石)
毛原廃寺(礎石3個)

笠間川合流点(葛尾)
笠間川合流点(葛尾)


大きな地図で見る



大川縄文遺跡
尾川縄文遺跡


対岸の石刻仏
石刻仏







プロフィール

青龍

Author:青龍
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
萩 (2)
訪問者数
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR