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聖地 比叡山で南都北嶺を体感する(その3) 横川地区

比叡山横川地区は西塔地区の北約4キロに位置します。バスで約20分で到着しました。

 横川地区は円仁(794-864)によって、天長年間(824-834)に開基されました。1971年に新築・再建された横川中堂を中心に、元三大師堂(四季講堂)などのお堂が建っています。

四季講堂は延暦寺の中興の祖、元三大師良源の住房で、初めは定心房と呼ばれました。ここでは、四季ごとに法華経の講義が開かれたので、この名でよばれています。

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横川地区入口
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案内図
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参拝案内
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比叡山と各宗祖師
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横川中堂
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横川中堂説明板
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中堂正面
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元三大師堂山門
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四季講堂
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説明板
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元三大師について
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厄除けキャラクタ
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聖地 比叡山で南都北嶺を体感する(その2) 西塔地区

 比叡山の西塔(さいとう)は、東塔の北西約1.5キロにあり、バスで約10分ほどで到着します。ここは、平安初期に最澄が創建した山城国宝塔院を開基としています。

 今回は西山先生のご案内で、最初に、最澄の御廟所である浄土院を参拝しました。 浄土院は比叡山中、最も清浄な聖域で、現在でも御廟を守る僧侶(侍眞という)が、12年間山を降りない籠山修行の厳しい戒律に則って、霊前のお勤めをされています。

続いて、常行堂・法華堂(重文、1595年建立)を参拝しました。2つのお堂は高い廊下で結ばれており、「弁慶の担い堂」と呼ばれています。常行三昧とは、円仁が中国五台山から伝えた行法で、念仏を唱えながら90日間堂内を巡回する荒行です。

常行堂・法華堂を結ぶ高い廊下をくぐりぬけると眼下に、石段が下り、その先に転法輪堂(重文、1345年~1350年)、別名釈迦堂が見えてきます。桁行7間、梁間7間の根本中堂と同じような天台様式の建物となっています。

最後に、山を150メートルほど登って、相輪橖(そうりんとう)を拝しました。 高さ10メートル余りの青銅製の九輪の塔で、金色に輝く相輪をのせています。平安初期に最澄が経巻を納めて造立したのが、起こりです。 1895年(明治28)に改修されました。

西塔入口
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西塔地区案内図
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浄土院説明板
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浄土院
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参拝者入口
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浄土院
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浄土院額
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扉文様
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御廟
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参道の石碑(最澄の遺訓)
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五重照隅塔
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常行堂・法華堂
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説明板
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常行堂(左) 高廊下 法華堂
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常行堂
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入口
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法華堂
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法華堂入口
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転法輪堂への石段
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説明板
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転法輪堂(釈迦堂)(重文、貞和年間)
 元は園城寺の金堂を豊臣秀吉がここに移建した。山内では最古の建築である。
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相輪橖(そうりんとう)
 平安初期に最澄がここに経巻を納めて相輪橖を造立したのが始まり。 織田信長の焼打ちで焼失。その後再建され明治28年に改修。蘇我馬子が、大野丘に刹柱を建立して、寺院としたが、それと類似した建物であろう。法隆寺の五重塔の心柱の伐採年代が594 年であることは、松浦により刹柱説が唱えられている。

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聖地比叡山で南都北嶺を体感する(その1) 東塔

奈良交通の西山厚先生同行のツアーで、比叡山の三つのエリア、(1)東塔(とうどう) (2)西塔(さいとう) (3)横川(よかわ)、を巡ってきました。 今回のテーマが「南都北嶺」を体感するとなっていたので、少し興味を引かれました。
ここで、南都とは興福寺のことで、北嶺とは比叡山延暦寺のことを指します。 

日本に仏教が伝来し、飛鳥時代に飛鳥寺が建立され、次いで607年に法隆寺(若草伽藍)が創建されました。 奈良時代になると南都6宗(三論宗、成実宗、法相宗、俱舎宗、華厳宗、律宗)が開かれましたが、その中でも法相宗(興福寺、薬師寺、法隆寺、清水寺)は徳一で最も勢力が大きかったとのことです。

平安時代になると、天台宗(最澄)、と真言宗(空海)が加わり、8宗派になりました。

最澄(767-822)は、780年(13歳)に得度し、785年に受戒しましたが、19歳にして考えがあって、僧侶を辞して、比叡山に登り、山岳修行に入りました。12年間、山岳修業を続けました。 最澄は延暦7年(788)に、比叡山寺を造立し、自作の薬師如来像を安置し、道場としました。堂宇は薬師堂、文殊堂、経堂の3堂があり、これらの中央に本尊を祀る薬師堂があったので、根本中堂と呼ばれるようになりました。 

794年に平安京に遷都した桓武天皇は、比叡山に行幸し、比叡山寺を都の鬼門の鎮護霊場に定めました。 最澄の名が桓武天皇にまで聞こえ、天皇の命に従い、804年に中国に渡り、中国天台山の国清寺で遣唐僧として修行して、翌年の805年に帰国しました。最澄は帰国して、天台法華宗を開宗し、816年に、比叡山山上に近江宝塔院(東塔)と山城宝塔院(西塔)を造立し、それぞれに経巻1000部を納経しました。

824年、最澄入寂の翌年に、嵯峨天皇から比叡山大乗戒壇の設立の、勅許が出て、延暦寺の勅号を賜りました。比叡山全体の寺院を総称して延暦寺と呼びます。

833年に最澄の弟子の円仁が自ら写経したお経を納めるため、横川(よかわ)に宝塔(如法塔)を建立しました。 これが、横川の起こりです。

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比叡山の3エリアマップ
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3エリア解説板
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比叡山入口
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国寳殿
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文殊堂へ登る石段
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文殊楼
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文殊楼表
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急な階段で上へ登ります
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文殊楼解説
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谷崎潤一郎小説紹介
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根本中堂(修理中)
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根本中堂入口(工事中)
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大講堂
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大講堂説明
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吉川英治小説紹介
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鐘楼
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湖北の十一面観音めぐり 己高山鶏足寺

 鶏足寺は724年(神亀元年)に僧行基によって創建され、山岳仏教の聖地己高山(こだかみやま)の山頂近くにお堂を建立し、十一面観音を祀りました。一時荒廃しましたが、799年天台宗の開祖最澄によって再興され、湖北の比叡山として多くの寺院が建立され栄えました。 しかし、山頂付近は冬場は雪に閉ざされ、地理的に悪条件の場所にあったため再び衰退し、昭和8年には本堂も焼失し、仏像などの文化財は村の鎮守の與志漏神社の境内に建立された収蔵庫・己高閣(ここうかく)および世代閣(よしろかく)へ安置されました。

與志漏神社(式内社)
長浜市木之本町古橋
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二ノ鳥居
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己高山・鶏足寺鳥瞰図
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由緒書
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己高閣(ここうかく)
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己高山
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十一面観音立像(重要文化財、桧一木造、彩色、平安時代初期)
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七仏薬師如来立像(県指定文化財、桧一木及寄木造、平安後期)
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世代閣(よしろかく)

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薬師如来(重要文化財、樟一木造、漆箔乾漆、奈良時代)
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十二神将三体(重要文化財、木心乾漆、奈良時代)
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湖北の十一面観音めぐり 西野薬師堂

滋賀県長浜市高月町西野の「寺山」に天台宗の泉明寺(せんみょうじ)とう寺院があり、延暦年間(782年~785年)に伝教大師最澄が薬師如来、十一面観音、十二神将を刻み、当寺に納めたという言い伝えがあります。大友皇子の後裔西野丹波守家澄が菩提寺として崇敬護持したといわれています。戦乱により荒廃し、1518年浅井氏の兵火に懸って堂宇は焼失しました。里人はかろうじて仏像を救い出し仮堂に安置していました。大正15年に国宝に、昭和25年に国の重要文化財に指定されました。
西野薬師堂には、十一面観音立像と伝薬師如来立像が安置されています。平安初期の仏像を湖北で拝観でき感激しました。

充満寺
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説明板
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お堂
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薬師堂
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十一面観音(長浜市観光パンフレットより)
重要文化財、桧材木造、平安初期
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