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行基菩薩ゆかりの地を訪ねて(3) 狭山池

大阪狭山市大字岩室に所在する狭山池は、「古事記」の垂仁紀や「日本書紀」の崇神条に出てくる、文献上日本最古の溜池の一つです。

河内国西部の丘陵地帯は、大和川や石川の流域から外れた位置にあるため、豊富な水は利用できず、農業用水を確保するために溜池を作る必要がありました。 江戸時代の1704年(宝永元年)に大和川が付け替えられるまでは、大和川は北流していました。 その空白域の農地を狭山池が灌漑していたわけです。

1988年~2002年に狭山池の平成の大修理が行われました。 その時、狭山池築造時代の高野槙をくりぬいて作られた東樋が出土しました。 奈良文化財研究所の光谷氏によって、この木材の伐採年代は616年(推古24年、聖徳太子の時代)と確定しました。現在の狭山池は少なくとも616年以降に開発された溜池であることが分りました。

溜池築造後、洪水により堤防が崩れるなどの被害があり、大きな改修が何回か行われてきました。その中でも、行基による改修が有名です。また、鎌倉時代には東大寺の僧重源が改修し、その際、古墳の石室を利用して樋を作りました。 江戸時代には豊臣秀頼の命を受けた片桐且元が改修(慶長の大改修)を行いました。1988年~2002年に平成の大改修が行われ、狭山池はダムになりました。

2014年に狭山池出土木樋及び重源狭山池改修碑が重要文化財に指定され、2015年(平成27年)に狭山池は国の史跡に指定されました。

大阪府立狭山池博物館(大阪狭山市池尻中2)は2001年に、平成の大修理で見つかった狭山池築造に関する古代から現代にいたる歴史的遺産を後世に伝えるために作られました。堤防をはぎ取った実物大の壁の展示は迫力がありました。飛鳥時代に造られた高野槙の木樋の展示も圧巻でした。再訪して、ゆっくりと再度見学したいと思いました。

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狭山池
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堤防
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取水構造
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博物館名
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建物
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狭山池堤防断面剥ぎ取り
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断面
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敷葉工法
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堤体断面構造
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拡大(改修の痕跡)
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高野槙木樋(616年伐採)
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同上(飛鳥時代伐採)
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木樋(手前から奥へ流路)
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同上
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行基菩薩像(731年 天平の大改修 堤防60cmかさ上げ 敷葉工法)
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行基の改修説明
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重源像と記念碑
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古墳の石室利用して石樋を作る。
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片桐且元画像(慶長の大改修)
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南河内の灌漑
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狭山池土木遺産
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古地図(左:大和川は北流 仲:大和川付け替え跡、右:古墳の濠に水入る)
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狭山池の灌漑範囲(大和川まで)
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行基菩薩ゆかりの地を訪ねて(2) 土塔

 堺市土塔に所在する行基が建立したと伝えられる、「土塔(どとう)」、を訪ねました。 土塔は1辺が53.1m、高さ9mもある、土と瓦で構築された巨大な四角錘の十三重の塔です。行基は60歳のとき、727年に聖武天皇の勅願により、この地に大野寺を建立しましたが、その南に土塔を建立しました。

 平成20年に堺市が復元整備した土塔は現在は十二重塔までとなっていますが、十三重目は円形でその上に仏塔が立っていたのではないかと推測されます。 発掘調査によって、奈良時代の人々の人名が書かれた瓦が多数出土し、豪族の建立した寺とは違って、多くの民衆の寄進によって建立された知識寺であることを示しています。

奈良市内にある「頭塔(ずとう)」は、東大寺を創建した僧良弁が発願し、二月堂のお水取りの行事を考案した僧実忠によって建立された四角錘の土塔で、当初は土塔と呼ばれていましたが、後世に、僧玄昉の頭が埋葬されているという、言い伝えが伝承され、頭塔と呼ばれるようになりました。

土塔正面入り口
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土塔正面
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瓦葺
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拡大
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隅拡大
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裏面
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地図(土塔)
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土塔(昭和10年)
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土塔説明(行基)
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土塔盛土工法
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遺構の再現
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瓦葺と文字瓦
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僧行基
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行基菩薩ゆかりの地を訪ねて(1)

2018年2月24日、奈良交通主催の西山厚先生同行バスツアー「行基菩薩ゆかりの地をたずねて(県外編)」に行って来ました。
近鉄奈良駅前から出発し、堺市の家原寺、土塔、狭山池博物館、奈良市の喜光寺を訪ねる印象深く記憶に残るツアーでした。

  行基と言えば近鉄奈良駅広場の噴水のところに立っておられる僧侶で、諸国を行脚して、多くのお寺を建立し、社会的に貧しい人々のために救済事業を行った僧侶として有名です。また、聖武天皇の大仏建立に際し、多くの智識(仏教信者のこと)を動員して、協力したことも、よく知られています。

今回、はじめて訪れた堺市にある家原寺(えばらじ)(高野山真言宗、開山行基、本尊:文殊菩薩)について紹介します。

家原寺は、行基誕生寺として有名な寺です。行基は668年にこの地で生まれ、15歳で出家し、飛鳥寺へ入り、704年に生家を寺にして寺院を建立しました。 

ご本尊の文殊菩薩は「家原の文殊さん」として知られ、合格祈願に大勢の方が訪れていました。願いごとを落書きする代わりに、近年は布に願い事を書き、お堂の廻りにかかげています。ちょうど今は受験のシーズンで、合格祈願に訪れた方が、お堂の廻りを、左まわりで、ぐるぐるまわりながら祈願をしていました。 文殊菩薩の聖地、中国五台山の塔院寺では、右回りに廻っていました。

家原寺(えばらじ)
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仁王門
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阿形
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吽形
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本堂方向
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中院方向
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本堂正面と祈願の布
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行基菩薩誕生塚 石碑
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多宝塔
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大阪城 その3

 天守閣の石垣は徳川時代に築いたものです。石垣の平面部には布を切って敷き詰めたような方形石を使い、横方向に目地が通るように築かれています。 隅石は短辺に対して長辺の長さが3倍以上もある細長い直方体の巨石を互い違いに算木のように積み上げて築かれており、大変きれいに仕上がっています。

天守閣側面
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隅石
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布積
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横方向に目地が通る
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仕切り門趾
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天守台高垣
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 桜門から東を見ると生駒山頂に設置されている大阪の各テレビ局のアンテナが見えました。
ここから、大阪平野の住宅に向け電波を発射しています。

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桜門を入り大阪城天守閣へ行く道沿いに大きなパネル写真を掲げ、大阪城の歴史を解説していました。

豊臣秀吉は1583年(天正11年)大阪城の築城を開始しました。豪壮華麗な贅の限りを尽くしたお城だったようです。
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豊臣大阪城は1615年(慶長20年)、徳川家康によって攻撃され落城し、焼失しました。
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2代将軍徳川秀忠は1620年(元和6年)に大阪城の再築城を開始しました。豊臣秀吉の大阪城とは全く違った大阪城を構築しました。
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徳川大阪城は1665年落雷による火災で天守を失いました。
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幕末の1868年に大阪城は失火で焼失する
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昭和5年、天守閣築城開始
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昭和6年、天守閣完成
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帰りは玉造口から出て森ノ宮から環状線に乗りました。
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玉造の説明

古墳から出土する勾玉はこの近くで造っていたようです。
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玉造口
石垣のみ原型を留める
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大阪城 その2

大阪城の大手口から入り、桜門を通過して、天守閣をめざします。桜門の入口の両側には門松が飾られお正月を迎える準備をしていました。若い外国人観光客が大勢来ていました。

桜門土橋と空濠
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石垣が壮観
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桜門と飛行機
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天守閣へ案内板
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桜門へ土橋
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桜門から天守閣、門の両側に門松
門の両側に巨石
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桜門説明板
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高麗門
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桜門枡形囲説明
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巨石・蛸石
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巨石オンパレード
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昭和六年築(鉄骨鉄筋コンクリート造り)、平成9年改修
12月28日早々と休館のため天守閣へ入場できず。大勢の外国人観光客が残念そうに帰って行った。
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