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蓮華王院・三十三間堂

 京都国立博物館の向かいに所在する天台宗蓮華王院の本堂(国宝)は、全長が約120メートルあり、柱間が三十三間あるので、三十三間堂と呼ばれます。

堂内には、1001体の「十一面千手千眼観世音菩薩像」が安置されており、観音様が堂内の端から端まで林立し、圧巻です。お堂の中央には、鎌倉時代に運慶の長男の湛慶(たんけい)が82歳のときに造像した巨大な観音坐像が安置され,その左右にそれぞれ500体の観音が十段の壇上に整然と立っています。 等身立像の中、124体は平安期の創建時のもので、他の800余体は鎌倉期のものです。 

堂内の両端には雲座にのった躍動感あふれる風神像と雷神像が安置され、自然現象の台風や雷、地震などに対する人間の畏怖の念が込められています。 これらは、鎌倉時代の彫刻の名作とされ、国宝に指定されています。

お堂の最前列と中尊の周囲には合計で、28体のインド由来の天部の像が配置され、千手観音を守護しています。目には鎌倉時代に始まるとされる玉眼が嵌めこまれています。

蓮華王院は、後白河上皇院政庁「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」の一画に、1164年に、平清盛によって建立されましたが、約80年後に焼失し、1266年に再建され、それ以来、約700年間に渡って修理が行われ、保存されている京都洛中では、最古の建造物の一つです。

西山先生から蓮華王院の歴史や仏像の配置の歴史や仏像の修理の現状等について詳しく説明して頂きました。

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後白河上皇院政庁「法住寺殿」址碑
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三十三間堂
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同上
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同上
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同上
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庭園と三十三間堂
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三十三間堂入口
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射弓場
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京の名刹を訪ねて

 2019年6月9日、奈良交通主催の西山厚先生同行解説の大和路再発見バスツアーで、今回は大和を離れて、京都の名刹を訪ねました。 この日は天候に恵まれ、最初に訪ねた大原の山里では、田植えが終わったばかりの田園風景と山の木々の緑がとても映えていました。ツアーでは大原の三千院、太秦の広隆寺、蓮華王院(三十三間堂)を訪ねました。 

その昔、大原の三千院には大勢の観光客が押し寄せました。
1965年に永六輔作詞、いずみたく作曲、デューク・エイセス歌の「女ひとり」 が大ヒットして、京都大原三千院、高山寺、大覚寺は京都の観光地として脚光を浴びました。現代では益々賑わいを見せ、海外からの観光客も多いです。

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「女ひとり」
永 六輔 作詞
いずみたく 作曲

京都 大原 三千院
恋に疲れた女がひとり
結城に塩瀬(しおぜ)の素描(すがき)の帯が
池の水面にゆれていた
京都大原三千院
恋に疲れた女がひとり
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バスの駐車場で下車して、三千院までの参道を歩きます。
谷川(呂川)に沿って山道をゆっくり登って行く参道や、参道沿いに樽を置き柴漬けを土産物として売っているお店の姿は、昔訪ねた頃と様子は変っていませんが、今回は外国の若い観光客が多く当時とは様子が変わっていました。

山門下の石段の横に大きな、石標が建っており、「梶井 三千院門跡」とあります。石段を上がると、苔生した城壁のような大きな石垣が積まれています。 この大きな石垣にそってしばらく行くと、山門があり、以前の景色を思い出しました。

三千院
大原三千院は、梶井門跡・梨本坊とも呼ばれ天台宗五箇室門跡の一つです。 最澄が比叡山の東塔南谷の梨の大木の下に住房を結び、一念三千院または円融坊と称したのが始まりです。860年清和天皇の勅願により承雲が東坂本の梶井に大伽藍を建立し、その後堀河天皇の第2皇子最雲法親王が14世を継いで以来、代々法親王が住職を務め、梶井門跡、梨本坊とも称されました。その後、明治4年に大原の地に移り、霊元天皇宸筆の勅額「三千院」を掲げて、三千院と呼ばれるようになりました。

往生極楽院
 往生極楽堂は、奈良の當麻出身の比叡山の僧侶恵心僧都源信が986年に建立したと伝わるお堂です。現在の建物は平安時代の1148年の建立です。本尊は国宝の阿弥陀三尊像で、脇侍は正座しており、大和坐りと言うのだそうです。 天井は折り上げ式天井で逆船底型になっています。

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谷川沿いの参道
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石標: 梶井門跡 三千院
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城壁のような石垣
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三千院境内図
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山門: 梶井 三千院門跡石標  往生極楽院
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京都市指定名勝 
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庭園
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庭園
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細波の滝
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重要文化財 往生極楽院
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国宝 阿弥陀三尊
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わらべ地蔵
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あじさい園
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朱印所
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鎌倉石地蔵
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芹生
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木津川市 蟹満寺

蟹満寺(真言宗智山派) 京都府木津川市山城町

 寿宝寺から木津川を渡って国道24号線に出て、奈良方面へ進むと、まもなく「蟹満寺」という看板が表れ、左折して案内板に従って奥まで進むと、蟹満寺に着きました。

 寺院発行の縁起によれば、蟹満寺は奈良朝以前に、秦氏の一族秦和賀によって建立され、後に行基菩薩の関与により民衆のあつい信仰を集めたとあります。1990年の発掘調査で7世紀末の大規模な寺院の遺構が発見されました。創建時の本堂は薬師寺の金堂の大きさに匹敵する規模であったようです。
 
 本尊の国宝の釈迦如来像は、白鳳時代の名作で、1300年前に造像された金銅の座像で、2m40cm、重さ2.2トンもあります。初唐様式の堂々たる尊像で、ほとんど完全に近い原形のまま今日に至っているとのことです。螺髪と白毫を付けませんが、手の指の間には水掻きの如き曼網相を備えており、人々救済のお姿をされています。
 一目拝顔したときは、一瞬、飛鳥大佛を思い浮かべました。 白鳳時代の金銅仏ですから、飛鳥時代の古来の仏像の流れをくむのではないでしょうか。

 蟹満寺は、平安時代の今昔物語に登場する蟹にまつわる説話で有名です。そのお話の概要は以下の通りです。

 『昔、観音を篤く信仰していた村の娘が村人に捕まえられた、蟹(サワ蟹)を放してあげました。数日後、その娘の父が、蟹を捕まえた蛇に対して、「婿にするから蟹を放してあげなさい」と言って放させました。ある夜、男に姿を変えた蛇がやって来て、娘に求婚を迫りました。父娘が困っていると多くの蟹が表れ蛇を退治しました。翌朝、庭には蟹と蛇の亡骸に満ちていました。そこで、父娘は蟹と蛇の亡骸を供養するためにお寺を建てました。』

山門

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本堂
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説明板
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京田辺市寿宝寺 十一面千手千眼観音像

寿宝寺(高野山真言宗) 京田辺市三山木

 寺伝によると、寿宝寺は704年(慶雲元年)に創建された七堂伽藍を備えた大寺でした。付近は、山本郷と呼ばれ、711年(和銅4年)には、大和と山陰道を結ぶ道の駅「山本駅」が置かれた場所であったので、「山本の大寺」と称されました。当初は300メートルほど東の木津川近くにありましたが、洪水に会い、現在地に移りました。

 住職に拝観をお願いすると、頑丈なお堂に案内され、素晴らしい十一面千手千眼観音(平安時代、重要文化財)を間近で拝観させてくれました。 実際に千本の手が実在し、掌には千眼が墨で刻印されていました。 この像は榧(かや)材で彫られた壇像で、彩色されていませんが、木目がとても美しく、とてもおだやかな彫り方をしています。 像高が169.1cm もあり、千本の手は大脇手と小脇手に分かれて、大脇手には、鏡や宝珠や呼び鈴など、いろいろなものを持ち、人々のさまざまな願いをかなえてくれそうでした。 

 住職は説明の途中で、お堂の扉を閉め、暗くしてから、照明を付けて、観音様を拝観させてくれました。すると、十一面観音様のお顔の表情が、とても優しいお顔に代りました。 昔は月の光でこの観音様を拝観するため、行事は夜に行われたそうです。


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山門

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本堂

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説明板

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十一面観音堂

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奈良街道、山本駅石碑

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京田辺市 観音寺(大御堂)の十一面観音拝観

 観音寺(大御堂) 京田辺市普賢寺下大門 真言宗智山派 

一休寺から観音寺までは、車で、山手幹線を通り、同志社大学京田辺キャンパスのチャペルを見ながら進むと、15分少々で到着しました。 旅行社の団体ツアー客などで賑わい、少々喧噪状態にあった一休寺と比べて、観音寺には旅行社の団体客はいなくて、大御堂は広々とした田園風景の中にあり、遠足で来た近くの普賢寺の幼稚園の子供達の遊び場となっていました。子供たちから、色々と話しかけられ、お話をしていると、とても心が癒されました。

 白洲正子さんの「十一面観音巡礼」の本を読んで、以前から一度是非、お目にかかりたいと思っていた国宝の十一面観音と、はじめて出会うことができ、とても感激しました。 受付の看板に導かれて、民家風の庫裏にて住職さんに拝観をお願いすると、本堂の前で待つよう言われました。 

本堂 ご本尊 十一面観音
(国宝、木心乾漆造漆箔、像高172.2cm、8世紀後半頃)

ほどなく袈裟を身に付け正装されたご住職が来られ、本堂内に導かれ、十一面観音のお厨子を開けられ、まずは線香に火を付け、お香を焚いて、焼香しました。 住職に促され厨子の真近まで行き、お姿を拝観させて頂き、とても驚きました。 予想以上に、美しく艶やかで、慈悲深い気品あふれる、知性的なお顔をしており、大変驚きました。 まだらな金箔が残るお姿を想像していましたが、それとは違って、黒漆が表に出て綺麗な、お姿となっていました。 頭部の十一面の小さなお顔もきれいにすべて整っていました。 光背の円型の枠が金色に輝きとても観音様とマッチしていました。聖林寺の国宝の十一面観音像と大変良く似たお姿でした。

 十一面観音を前にして、住職からお寺の歴史と十一面観音像について法話をお聞きしました。 寺伝によると、お寺は飛鳥時代に天武天皇の勅願によって、義淵僧正が開基したとのことです。その後、聖武天皇の御願により744年(天平16)に、東大寺の良弁が伽藍を増築して、普賢教法寺と呼ばれたそうです。なお、十一面観音はもと普賢教法寺の旧仏で、天平16年(744)、良弁によって安置されました。東大寺二月堂の修二会の行事のとき、松明に使う孟宗竹を、普賢寺から東大寺に送る、竹送りの行事が復活した記念の石碑が建っていました。 

その後は興福寺の別院となり、藤原氏の帰依を受けて栄え、盛時は諸堂13、僧坊20余を数える大寺であったと言われています。しかし、1437年(永享9年)の火災で大伽藍は焼失しました。その後も再建されるも旺時の寺勢には及ばなかったそうです。

 境内には本堂(昭和28年再建)、鐘楼(昭和49年再建)、庫裏があります。本堂西の小高い丘に塔心礎が残ります。また、古瓦の断片が散見されます。

「南山城の古寺」という小冊子を購入しましたが、その最初に紹介されているお寺が観音寺でした。 黄色い菜の花と桜咲く田園風景の中にある観音寺の屋根を見て、春先にまた訪ねたいと思いました。

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大御堂への参道
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本堂
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本堂
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本堂前 観音寺説明板
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本堂前庭園
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大御堂前広場
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鐘楼
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鐘楼と子供達
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二月堂竹送り復活の地石碑
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2018年3月東大寺2月堂参籠所前
お水取りの行事で送られた竹

京田辺市普賢寺墨書
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童子が担いで登廊する竹 京田辺市丁田墨書
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