中国寧波・揚州の旅 その9(最終回)
中国寧波・揚州の旅の最後は、揚州壺園での中秋節のお月見でした。長屋王が唐に贈った袈裟に刺繍してあった「風月同天」という漢詩の言葉を地で行くようなお月見でした。この夜は日本でも同じように満月を見ることができたそうです。
最後に、鑑真関係の年表を付しておきます。
<大明寺空海像>
804年に入唐した空海が大明寺を訪ねています。空海の像がありました。

<長屋王の漢詩の句:風月同天>

<壺園にてお月見>







<風月同天の満月>


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鑑真和上関係略年表
688年 鑑真、揚州に生まれる
701年 14歳 揚州の大雲寺に入る(出家)
705年 18歳 光州の道岸禅師を師として菩薩戒を受ける
707年 20歳 洛陽に学ぶ
708年 21歳 長安の実際寺で弘景律師を和上として具足戒受ける
712年 25歳 玄宗皇帝天子となる
713年 26歳 鑑真はじめて律疏の講義をおこなう 故郷に戻り戒律の講座ひらく
718年 31歳 鑑真「行事鈔」・「軽重儀」の講座を開く
727年 40歳 鑑真「羯磨疏」を講ずる
733年 46歳 遣唐使派遣 大使多治比広成、副使中臣名代 判官秦朝元・平群広成
興福寺の僧栄叡・普照は留学僧として随行、戒律の師僧を招聘する任務を背負う
734年 10月 遣唐使船四隻日本へ向け出帆 難破し流される
735年 第1船大使一行種子島経由で奈良へ帰る。留学僧下道真備・僧玄昉も同船
736年 副使名代の船も流された後日本に帰着 唐僧道璿(どうせん)・インド僧波羅門菩提・林邑の僧仏哲・唐人皇甫東朝・ペルシャ人李密翳らが同船
742年 55歳 栄叡・普照と大明寺で会う 伝戒師の来日を要請される
743年 56歳 夏 鑑真第1回目渡海 密告により失敗
744年 57歳 1月 第2回目渡海出帆するが嵐に会う 栄叡逮捕3回目も失敗
748年 61歳 6月出帆 嵐で海南島へ流される
749年 62歳 栄叡病を得て端州龍興寺で死去 鑑真「哀慟悲切」
750年 普照、阿育王寺へ去る。 鑑真曰く「戒律を伝えんがために願を発して海を過ぐ。ついに日本国に至らずば、本願を遂げず」、と
752年 藤原清河を大使とする遣唐使が入唐
753年 10月鑑真、遣唐使から来日要請される
11月蘇州出帆、沖縄に到着
66歳 12月20日 鹿児島秋妻屋の浦に到着、大宰府に入る
754年 2月平城京へ入京
3月受戒一任の勅を受ける
4月東大寺大仏殿に戒壇を築き、聖武太上天皇夫妻、孝謙天皇以下400名の僧尼に菩薩戒を授戒
755年 10月東大寺戒壇院完成
756年 5月2日聖武太上天皇没
5月24日大僧都に任じられる。法進、律師に任じられる
758年 8月大僧都解任、大和上の尊号を与えられる
759年 新田部親王旧邸宅跡が与えられ、鑑真和上が唐招提寺を創建
760年 光明皇太后没
761年 下野薬師寺と大宰府観世音寺に戒壇設立
763年 弟子の忍基ら肖像を作る
5月6日 鑑真76歳で没す
764年 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱
765年 西大寺創建
777年 遣唐使、鑑真の死を唐に伝える
778年 法進没
779年 淡海三船「唐大和上東征伝」著す。
785年 最澄、東大寺戒壇院で受戒
804年 遣唐使に従って最澄、空海入唐
805年 最澄帰国
806年 空海帰国
最後に、鑑真関係の年表を付しておきます。
<大明寺空海像>
804年に入唐した空海が大明寺を訪ねています。空海の像がありました。

<長屋王の漢詩の句:風月同天>

<壺園にてお月見>







<風月同天の満月>


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鑑真和上関係略年表
688年 鑑真、揚州に生まれる
701年 14歳 揚州の大雲寺に入る(出家)
705年 18歳 光州の道岸禅師を師として菩薩戒を受ける
707年 20歳 洛陽に学ぶ
708年 21歳 長安の実際寺で弘景律師を和上として具足戒受ける
712年 25歳 玄宗皇帝天子となる
713年 26歳 鑑真はじめて律疏の講義をおこなう 故郷に戻り戒律の講座ひらく
718年 31歳 鑑真「行事鈔」・「軽重儀」の講座を開く
727年 40歳 鑑真「羯磨疏」を講ずる
733年 46歳 遣唐使派遣 大使多治比広成、副使中臣名代 判官秦朝元・平群広成
興福寺の僧栄叡・普照は留学僧として随行、戒律の師僧を招聘する任務を背負う
734年 10月 遣唐使船四隻日本へ向け出帆 難破し流される
735年 第1船大使一行種子島経由で奈良へ帰る。留学僧下道真備・僧玄昉も同船
736年 副使名代の船も流された後日本に帰着 唐僧道璿(どうせん)・インド僧波羅門菩提・林邑の僧仏哲・唐人皇甫東朝・ペルシャ人李密翳らが同船
742年 55歳 栄叡・普照と大明寺で会う 伝戒師の来日を要請される
743年 56歳 夏 鑑真第1回目渡海 密告により失敗
744年 57歳 1月 第2回目渡海出帆するが嵐に会う 栄叡逮捕3回目も失敗
748年 61歳 6月出帆 嵐で海南島へ流される
749年 62歳 栄叡病を得て端州龍興寺で死去 鑑真「哀慟悲切」
750年 普照、阿育王寺へ去る。 鑑真曰く「戒律を伝えんがために願を発して海を過ぐ。ついに日本国に至らずば、本願を遂げず」、と
752年 藤原清河を大使とする遣唐使が入唐
753年 10月鑑真、遣唐使から来日要請される
11月蘇州出帆、沖縄に到着
66歳 12月20日 鹿児島秋妻屋の浦に到着、大宰府に入る
754年 2月平城京へ入京
3月受戒一任の勅を受ける
4月東大寺大仏殿に戒壇を築き、聖武太上天皇夫妻、孝謙天皇以下400名の僧尼に菩薩戒を授戒
755年 10月東大寺戒壇院完成
756年 5月2日聖武太上天皇没
5月24日大僧都に任じられる。法進、律師に任じられる
758年 8月大僧都解任、大和上の尊号を与えられる
759年 新田部親王旧邸宅跡が与えられ、鑑真和上が唐招提寺を創建
760年 光明皇太后没
761年 下野薬師寺と大宰府観世音寺に戒壇設立
763年 弟子の忍基ら肖像を作る
5月6日 鑑真76歳で没す
764年 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱
765年 西大寺創建
777年 遣唐使、鑑真の死を唐に伝える
778年 法進没
779年 淡海三船「唐大和上東征伝」著す。
785年 最澄、東大寺戒壇院で受戒
804年 遣唐使に従って最澄、空海入唐
805年 最澄帰国
806年 空海帰国