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都塚古墳現地説明会

 2014年8月16日明日香村教育委員会と関西大学文学部考古学研究室は都塚古墳調査現地説明会を行いました。この日は新聞・TVが大きく報道したため、盆休みとあって4千百人の見学者が明日香村阪田小字ミヤコの現地を訪れました。暑い中、待行列が長くなり、見学するために1時間半から2時間かかりました。

<待行列>
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この古墳名は小字名をとって都塚古墳と名付けられていますが、地元では正月元旦に金鳥が鳴くという伝説から金鳥塚と呼ばれ、石室は子供の遊び場になるなど、古くからよく知られた古墳です。

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<都塚古墳:現地説明板>
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看板書き下し(2014.8.16 現在)

                都塚古墳(みやこづかこふん

 都塚古墳は、金鳥塚(きんちょうづか)とも呼ばれ、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)に家形石棺(いえがたせっかん)を納めた、代表的な後期古墳である。墳丘は約30mの円墳(えんぷん)あるいは方墳(ほうふん)と推定されるが、確定していない。石棺は、凝灰岩(ぎょうかいがん)の巨石をくり抜いたもので、前後左右に縄掛突起(なわかけとっき)をつくりつけた家形の蓋(ふた)の部分と、遺骸(いがい)を納める身の部分からなる。かつて盗掘をうけたが、発掘調査の結果、鉄鏃(てつぞく)・刀子(とうす)・須恵器(すえき)などが出土しており、6世紀後半頃の築造と考えられる。
           
The Miyakozuka tumulus is also known as Kinchozuka, and has a stone chamber with a horizontal entrance corridor and a house-shaped sarcophagus. It is a representative example of a later tumulus. The mound is believed to have been either circular or square in shape, and about 30m in size, but this is not definite. The stone sarcophagus was made by hollowing out a huge piece of volcanic rock, and is composed of a house-shaped cover with protrusions for ropes in the front, back and sides, and a lower section for holding the deceased. The tumulus was dug into and robbed at some time, but excavations have discovered such artifacts as iron arrowheads, knives, and earthenware vessels. The tumulus is believed to be from the mid-sixth century.

               明日香村

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この古墳は1967(昭和42)年に関西大学の網干善教氏によって調査が行われ、家形石棺と棺台の存在から木棺が追葬されていたことが分かりました。このときの調査では墳丘部分の調査が行われていなかったため、都塚古墳の全体像の解明に向けた範囲確認調査を行うため、明日香村教育委員会と関西大学文学部考古学研究室が協同で、平成25年度から2カ年の調査が行われており、その成果の現地説明会が本日行われました。

都塚古墳データ(2014.8現在)
(1)墳丘は南から伸びる尾根上にある
(2)東西41m、南北42mの方墳
(3)墳丘は段状に石積されており他に例を見ない
(4)埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、玄室中央には家形石棺がある
(5)築造時期は6世紀後半頃である。


  東西の調査区と北側の調査区で裾部を検出しており、これをもとに復元すると東西41m、南北42m、高さ4.5m以上、西側見かけの高さは7m以上に復原できます。墳丘は礫などで構成された基盤層を整形した方墳で、最下段の法面には川原石を施しています。

<調査区>
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<1区>周濠
墳丘北側の裾部には幅1~1.5m、深さ0.4mの周濠があり、北側の法面には人頭大の石材で護岸を行っています。
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<3区、4区>
<4区>
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<3区>
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<7区>4段石積
上部の墳丘部分は段状にした石積みがされており、4段分確認しているが、さらに数段増えるものと推定される。

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<8区>裾部
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<石室>
墳丘全景(南西に石室)

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<石室入口>
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<石室内部>
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<石棺>
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感想
1.「ピラミッドのような段状の石積をもつ一辺40mの大形方墳」(奈良新聞8月14日付)という記事を読んでいたので、石積として、酒船石遺跡のような切石状の立派な石組を予想していたのですが、現地を見て石積の石が余りにも小さく、段差も低く、ピラミッドとは程遠いと感じました。むしろ墳丘に葺石をして荘厳していたのではないのでしょうかね。古墳に葺石を敷くことならずいぶん昔から行われていますから、特に例がないなどという必要はないでしょう。頭塔と比べてもずいぶん貧弱な石積です。

2.被葬者について蘇我稲目説を唱える「学者」が現れました。つい先日までは見瀬丸山古墳だと言っていた人がです。要するに簡単に説を変えるほど被葬者当ては難しいということでしょう。






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