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大窪寺跡

 下ツ道(終点附近)その4 です。今回は大窪寺跡と国源寺観音堂について報告します。

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大窪寺跡(橿原市大久保町)
 大窪寺については「日本書紀」朱鳥元年(686)の寄進記事にその名が見える。寺跡から白鳳時代の瓦が出土している。

<大窪寺由来>
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<前方は大窪寺跡地:国源寺観音堂>
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<手前は大久保町公民館敷地内にある大窪寺塔心礎>
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国源寺(こくげんじ)

 大窪寺跡に現在、国源寺観音堂が建っている。国源寺観音堂の前方の大久保公民館敷地内に、白鳳時代に建立された大窪寺の塔心礎が残されている。しかし、大窪寺と国源寺は同一の寺ではない。「多武峰略記」によれば、国守が貞元2年(977)に畝傍山陵の近くに、方丈の堂を建てたのが国源寺の始まりであるとしている。その後、荒廃していたのを、文治3年(1187)法眼光慧が再興している。嘉吉年間(1441-1444)には興福寺浸勝院の末寺となり、坊舎は八宇を有したという。明治初年に現在地に移されたという。

本尊は阿弥陀如来立像を祀る。隣接の観音堂には中央に不空絹索観音、その右に聖徳太子像、弘法大師造を安置する。不空絹索観音は寄木造り、漆箔玉眼入りの立像。台座に「永禄六年(1563)南都宿院仏師源次作」の墨書銘を残す。

聖徳太子像は寄木造彩色玉眼入りの二歳像。頭部内部に「正安4年(1302)9月26日覚道」の墨書銘があり、在銘二歳像としては国内で最古である。県文化財に指定されている。 なお、ボストン博物館蔵は正応5年(1292)、法隆寺蔵は徳治2年(1307)の銘を有する

<国源寺観音堂>
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<国源寺山門?>
IMG_3581s.jpg

<聖徳太子2歳像:解説文>
IMG_3577s.jpg

<頭部墨書銘:解説文>
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