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厩坂寺跡

下ツ道(終点附近)その6です。今回は厩坂寺跡について報告します。

近鉄八木西口⇒小房観音⇒藤原京跡⇒本薬師寺跡⇒大窪寺跡⇒軽衢⇒厩坂寺跡⇒軽寺跡⇒軽豊明宮跡⇒見瀬丸山古墳

厩坂
  日本書紀応神天皇3年10月条に「東の蝦夷がみな朝貢してきた。その蝦夷を使って厩坂道を造らせた。また、15年八月条に、「百済王は阿直岐を遣わして、良馬二匹を奉った。それを大和の軽の坂上の厩で飼わせた。阿直岐に掌らせて養わされた。その馬飼をしたところを厩坂という]とみえ、現在の石川・大軽町付近の道を指すものとみられる。

厩坂寺

厩坂寺は興福寺の前身である。藤原鎌足の遺志により天智天皇八(669)年、鎌足の妻の鏡女王が山城国宇治郡山階の地に、鎌足の念持仏の釈迦丈六像を祀る堂塔を建て、山階寺(やましなでら)と名付けたのが始まりである。

その後、壬申の乱の後の672年に、飛鳥の地に移されて厩坂寺と改称した。このとき、不比等はまだ幼少であったためか壬申の乱では中立の立場をとったようである。壬申の乱が大海人皇子方勝利で終結し、飛鳥に宮を移すや否や厩坂寺を移築している。 

和銅三年(710)都が奈良に遷されるとき、鎌足の次男の不比等が寺を奈良に移して興福寺と改めた。以後、藤原氏の氏寺として大和一国を支配する大寺となり、隆盛をきわめることになる。

 橿原市大軽の北現在の石川町と久米町の境に小字丈六がある。丈六は厩坂寺跡で丈六の仏像を安置したところであるという。「日本書紀」舒明天皇12年4月条に、“厩坂宮”が出てくるが、この場所は不明であるが厩坂とあることから、この付近であろう。

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<厩坂寺跡付近>

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