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斑鳩散歩 その7(竜田御坊山古墳3号墳)

現在、橿原考古学研究所附属博物館では、3月26日~4月17日まで特別陳列「竜田御坊山3号墳―発見50年記念展」を行っています。その特別陳列の要旨は次の通りです。

『斑鳩町に所在する竜田御坊山3号墳は昭和40年8月7日、造成工事中に発見され7、8日の2日間にわたって調査されました。横口式石槨は同年9月8日に当博物館の前身である大和歴史館に運搬し、展示されました。出土品と石槨は昭和56年6月9日に「大和御坊山第三号墳出土品」として重要文化財に指定されました。調査から50年目にあたる本年度に横口式石槨を館内で展示するためにクリーニングし、併せて再調査を行いました。本展ではこの成果について展示します。 』

3月26日には特別陳列研究講座が行われました(以下敬称略)。
1. 橿原考古学研究所附属博物館主任学芸員 北井利幸 「竜田御坊山3号墳石槨の再調査について」 
2. 同上 鶴 真美 「竜田御坊山3号墳の漆喰調査」  
3. 元橿原考古学研究所泉森 皎(50年前の調査担当者)「御坊山3号墳の調査とその後」 

<御坊山古墳群>
 御坊山古墳群は藤ノ木古墳の西250m、竜田神社の裏山の竜田丘陵にあった3基の終末期古墳です。古墳群は丘陵の宅地造成工事中に見つかりましたが、昭和39年8月に調査に入った時点では、すでに1、2号墳はブルドーザによって破壊され、石材が散乱する状態であったそうです。

御坊山1号墳
 現地調査時にはすでにブルドーザで破壊され石材が散乱している状況であったため、墳丘等はあきらかでない。聞き取り調査では、埋葬施設は「厚さ20cm、幅50cm位の花崗岩の自然石を四壁にして高さ1m、長さ2m、幅1.7mぐらいの竪穴式石室状のものを造り2~3枚の天井石を架していた」ということです。また、「石室内部には北枕の1体、東側に南枕の1体が交差した状態で安置され、さらにその東に頭位の不明な1体があった。」そうです。
 古墳の破壊された現場で収集された遺物は、環座金具(金銅製環付六花形座金具)1点、鉄釘4点があった。環座金具は木棺に付けられた飾り金具で、座金、環、足金具からなる優品であり、類似品がないか法隆寺境内を探したそうですが、見つからなかったとのことです。

御坊山2号墳
  1号墳の北方約15mの地点に横穴式石室を内部主体とする古墳が存在した。調査時点では破壊され石室の天井石や、壁面を構成したと考えられる石材が散乱していた。破壊された花崗岩の石室材に混じって凝灰岩製の家形石棺の蓋石一枚を確認し、石室内に組合せ式家形石棺の置かれていたことが分った。古墳時代最終末期の家形石棺のようです。

御坊山3号墳
 昭和40年(1965年)には竜田御坊山3号墳が確認され、そのとき取り出した石槨(国重要文化財)は橿原考古学研究所の庭に保管されてきました。御坊山古墳群は史跡指定もなされず破壊され、現在では宅地と化しています。
 石槨内に黒漆塗の陶棺(国重要文化財)が納められていました。この陶棺は棺身と棺蓋で一対をなし、内外を問わず、棺蓋の円栓や楔形銅板の表面にも直接黒漆を施しており、蓋表面にはハケの痕跡がよく残っています。

 陶棺内部には仰臥した身長150cm前後の14歳から15歳の男性の遺骨が納められていました。頭骨の下には琥珀の破片が径18cmの楕円形に分布していましたが、これは我が国初の琥珀製の枕(国重要文化財)であると判断されました。また、枕の西側(人骨の右側)には、三彩有蓋円面硯(国重要文化財)が存在し、東側には、管状ガラス製品(国重要文化財)(復元すると総長13.2cm、径1.4cm)が置かれていました。、三彩有蓋円面硯は中国の隋から初唐の時代のもので7世紀初~中葉のものであるようです。 管状ガラス製品は、王義之の著と伝えられる「筆経」に出てくるような、ガラス管の筆管ではないかと考えられます。

 重要文化財
  1.石槨
  2.陶棺
  3.三彩有蓋円面硯
  4.管状ガラス製品
  5.琥珀製枕

<古墳群被葬者>
  3基の終末期古墳が発見された一帯は、江戸時代末『聖跡図志』に記載されている「御廟山・竜田苑部墓」の場所と一致します。貴人の墓所として伝承されてきた場所です。3号墳の石槨は河内地方に見られる特異な横口式石槨であるが、陶棺には黒漆が施され貴人が葬られたと推測されます。また、三彩有蓋円面硯、管状ガラス製品は中国でも類似品の少ない貴重品で遣隋、遣唐使などの外交ルートで輸入されたものであり、外交ルートを開いた聖徳太子「上宮王家」ゆかりの品々であった可能性がある。御坊山3号墳は、7世紀中葉の「上宮王家」ゆかりの人のお墓ではないかと推測されます。斑鳩は歴史が眼に見える凄い場所です。

参考文献(2016年3月26日 配布プリント)
(1) 橿原考古学研究所附属博物館 主任学芸員 北井利幸 「竜田御坊山3号墳石槨の再調査について」 
(2) 橿原考古学研究所  鶴 真美 「竜田御坊山3号墳の漆喰調査」  
(3) 元橿原考古学研究所 泉森 皎(50年前の調査担当者)「御坊山3号墳の調査とその後」

御坊山古墳
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竜田3号墳(発見当時)
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三彩有蓋円面硯
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管状ガラス容器(筆管)
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琥珀枕サンプル(岩手久慈製)
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藤ノ木古墳石室公開 その1

毎年5月4日、5日の2日間、斑鳩町では藤ノ木古墳の石室を公開しています。今年もたくさんの見学者が来られ、公開終了直前まで列を作っていました。地元の高校生や奈良大の学生などもボランティアで働いていました。石室の中では斑鳩町文化財センター職員による約5分間の説明がありました。

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矢田丘陵の周辺遺跡を歩く その6

「矢田丘陵の周辺遺跡を歩く」 その6です。今回は瓦塚古墳群の報告です。

JR法隆寺⇒斑鳩大塚古墳⇒斑鳩文化財センター⇒上宮遺跡⇒駒塚・調子丸古墳⇒中宮寺跡⇒三井瓦窯跡⇒瓦塚古墳群⇒笹尾古墳⇒小泉大塚古墳⇒JR小泉駅

瓦塚古墳群
 法起寺の北西にある南北に延びる丘陵上に2基の前方後円墳と1基の円墳があり、三井瓦窯跡近くに所在するため、瓦塚古墳群という名前が付けられました。

瓦塚1号墳
 1975年(昭和50年)の範囲確認調査により、全長97m、後円部径60m、後円部高さ8m、前方部幅47m,高さ2mで、前方部を北にし、後円部を南としている。墳丘は盛り土による二段築成からなり、各段に埴輪列が置かれていた。埴輪列は円筒埴輪の間に壺形、朝顔形の埴輪があり、後円部の東に方形区画が設けられ、そこに家形、鳥形などの埴輪があった。また、前方部と後円部のくびれ部から魚形土製品(8~11cm)や円盤形土製品(3~5cm)が出土し全国的にも珍しいそうです。この古墳の築造年代は埴輪等から5世紀前半と考えられています。

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瓦塚2号墳
 1号墳の南にあり、主軸を東西にとる前方後円墳である。全長95m、前方部を東に向けている。築造時期は1号墳と同じ頃であろう。

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瓦塚3号墳
 2号墳の南に位置し直径30mの円墳です。
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矢田丘陵の周辺遺跡を歩く その5

矢田丘陵の周辺遺跡を歩く その5 です。今回は三井瓦窯跡(みいがようあと)の報告です。

JR法隆寺⇒斑鳩大塚古墳⇒斑鳩文化財センター⇒上宮遺跡⇒駒塚・調子丸古墳⇒中宮寺跡⇒三井瓦窯跡⇒瓦塚古墳群⇒笹尾古墳⇒小泉大塚古墳⇒JR小泉駅

三井瓦窯跡(みいがようあと)(生駒郡斑鳩町三井 : 白鳳時代 国史跡)
 この瓦窯跡は焚口を西南方向に向けた地下式の登窯(のぼりがま)で、焚口・燃焼室・焼成室・煙道からなり、10段あまりの階段となっています。出土した軒瓦から7世紀末から8世紀初めに、法隆寺や法輪寺で使用された瓦を焼成したことが知られています。

<三井瓦窯跡:覆屋の中>
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<現地看板>

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矢田丘陵の周辺遺跡を歩く その3

「矢田丘陵の周辺遺跡を歩く」 その3です。今回は調子丸古墳駒塚古墳です。

JR法隆寺⇒斑鳩大塚古墳⇒斑鳩文化財センター⇒上宮遺跡⇒駒塚・調子丸古墳⇒中宮寺跡⇒三井瓦窯跡⇒瓦塚古墳群⇒笹尾古墳⇒小泉大塚古墳⇒JR小泉駅


調子丸古墳(東福寺1丁目5番)

 上宮遺跡の北約200M、駒塚古墳の南約100メートルに位置する径約14メートルの古墳です。古墳は裾のほとんどが削りとられ、田・畑になっています。調査は実施されておらず、埋葬施設や葺石、埴輪の有無については不明です。

この古墳の名前は聖徳太子に仕えた百済の聖明王の弟の長男と言われる「調子麿」を埋葬したとの伝承に由来します。五世紀代の古墳と考えられています。調子麿は聖徳太子が13歳のときに18歳で百済から来たといわれています。聖徳太子の愛馬黒駒の轡をとる調子丸の姿が法隆寺の厩小屋に納められています。
現在、調子丸古墳は駒塚古墳とともに斑鳩町の町史跡に指定されています。

<調子丸古墳>
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<調子丸古墳:ひまわりとコスモス>
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駒塚古墳(東福寺1丁目4番)

 平成12~14年度の三カ年にわたって調査されました。この古墳は主軸を南北に取る前方後円墳であり、全長約55メートル、後円部径34メートル、同高さ約5.5メートル、前方部長約21、高さ約2メートルです。前方部は河川によって一部流失しています。

 墳丘は後円部、前方部ともに2段築成ですが、後円部は3段であった可能性も考えられます。墳丘には葺石が二段に巡るが、埴輪は伴いません。墳頂には径約12~13メートルの平坦面が存在し、その下には棺を納める墓穴の存在が確認されています。しかし、埋葬施設は調査されていないため、竪穴式石室か粘土槨かを含めて不明です。築造時期については出土した赤色顔料が塗布された二重口縁壺から4世紀後半と考えられます。なお、この古墳の名前は聖徳太子の愛馬黒駒を埋葬したとの伝承に由来します。
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<駒塚古墳>
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<後円部>
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<墳丘後円部>
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以上

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