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割塚古墳

  矢田丘陵周辺の遺跡として注目すべき大形の円墳である割塚古墳(大和郡山市指定史跡)について紹介します。割塚古墳は現在、大和郡山市千日町の住宅地の中に古墳公園として保存されています。

 宅地造成に伴い1968年(昭和43年)3月から奈良県によって発掘調査が行われ、小島氏による「割塚古墳の調査」(概要)が青陵No.14に掲載されています。何故かわかりませんが、この半ピラの概要以外、発掘調査から46年も経つのに、橿原考古学研究所から割塚古墳についての調査報告書が出版されないので、発掘時の様子を調べる手段がありません。ただ、出土品の内、金製垂飾付耳飾だけは、博物館で展示されているので確認することができますが、その他の出土品については、写真もなくお目にかかれません。今後、「出土品に手を触れ、…、写真におさめてもらう」(「ならら8月号」橿考研所長)などの活用ができれば、子供たちもより身近な古墳について親しみを覚えるでしょう。

 小島氏による概報によると、調査当初は古墳の径49m、高さ約4.5mの大形円墳であるが、南北に1.5m以上の深さに掘り割られている現状から、破壊の甚しさを知る程度で終わると予想されていました。しかし、調査の結果、横穴式石室の上半の巨石は除去されていましたが、その下半部が出土しました、石室は南に向かって羨門を有し、羨道の長さ約7m、巾約1.5m、これに接する玄室の長さ約6.6m、巾中央で約3mの片袖式に属し、四壁は高さ1m前後しか残っていませんでした。玄室には石が敷かれその中央北寄りに刳り抜き式の家形石棺を安置し、羨道部では中央を縦断する排水溝がありました。家形石棺は、蓋の前後に縄掛突起のないもので、蓋身ともの全高1.4m、最大部の長さ2.72m、巾1.46mあり、蓋石は中央東側が大きく破壊されていました。石棺内の東南隅に鏡一面、その西北に垂飾付耳輪が二個づつ二ヵ所、すなわち二対があり、周辺に水晶製切子玉、碧玉製管玉などが散乱していました。棺の周辺とくに南前面には、馬具、挂甲札、鉄鏃、須恵器が一括して出土しました。墳丘基底部には弥生式土器が少量包含する層がありましたが、墳丘には埴輪はなかったようです。

<金製垂飾付耳飾>

 割塚古墳で出土した金製垂飾付耳飾が橿原考古学研究所附属博物館で、新沢古墳109号墳出土の金製垂飾付耳飾とともに、常設展示されています。古墳時代中期5世紀との説明書きがあります。博物館の常設展示を飾るほど貴重なものです。
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<看板>
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看板書き下し
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 1978年(昭和53)、4月20日、市指定文化財(史跡)。
直径49m、高さ5mの大形の円墳で、片袖式の横穴式石室を埋葬施設としています。石室は全長14mの規模で、玄室は長7m、幅3mを測ります。玄室の床面には石が敷かれ、羨道には排水溝が設けられていました。石室の中には、遺骨をおさめるための凝灰岩製の繰り抜き式の家形石棺が置かれていました。副葬品には、鏡、耳飾り、玉類、馬具、鏃、挂甲、須恵器などがありました。6世紀前半ごろに造られた古墳であり、当時このあたりに勢力をもっていた人の墓と考えられています。
         
               1993年9月 大和郡山市教育委員会
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<割塚古墳:南面> 
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<祠>
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<大和郡山市史跡指定標柱>
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<子供の遊び場>
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<古墳を大切に:地元自治会の看板>
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自治会では、公園が整備されて以来、毎年8月に矢田寺大門坊の僧の読経の下、被葬者の供養を行っています。

<古墳供養>
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<矢田寺大門坊僧読経>
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<矢田寺大門坊僧読経>
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参考資料
1)小島, "割塚古墳の調査(概要)",青陵、No.14,p.58, 1969.
2)小島俊次, "割塚古墳の調査",奈良県観光,148(3)、1969,3.10(月).
3)大和郡山市教育委員会編, "矢田丘陵周辺の古墳文化-郡山・斑鳩・平群の古墳を考える",第4回こおりやま歴史フォーラム,1998.


矢田丘陵周辺の遺跡を歩く その9

「矢田丘陵周辺の遺跡を歩く」 その9です。

JR法隆寺⇒斑鳩大塚古墳⇒斑鳩文化財センター⇒上宮遺跡⇒駒塚・調子丸古墳⇒中宮寺跡⇒三井瓦窯跡⇒瓦塚古墳群⇒笹尾古墳⇒小泉大塚古墳⇒六道山古墳⇒JR小泉駅

<六道山古墳>

 小泉大塚古墳から県道郡山斑鳩線に沿って百mほど東へ進むと、慈光院の駐車場があり、そこに六道山古墳が所在します。 前方後円墳ですが、前方部は1970年代に削平を受け、駐車場になっており、後円部だけが円墳のようにして残っています。主軸は南北方向にあり、前方部は北向きでやや未発達な帆立貝式前方後円墳です。

その規模は、全長約100m、後円部径約75m、同高約14m、前方部幅約50m、同高約6mです。後円部は2段築成です。埴輪は確認されているが詳細は不明です。時代を決定する遺物はないが、築成時期は多分古墳時代中期中頃であろうとされています。

<六道山古墳>

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<東狐塚古墳>
  小泉大塚古墳、六道山古墳に続いて造られた古墳です。 東南に面し、全長38mの前方後円墳であるが、すでに消滅している。

<小泉狐塚古墳> 
  直径約21mの円墳で、古墳時代後期(横穴式石室有する古墳である。1962年小泉団地造成によりすでに消滅している。





矢田丘陵の周辺遺跡を歩く その8

「矢田丘陵の周辺遺跡を歩く」 その8(最終回)です。今回は小泉大塚古墳の報告です。

JR法隆寺⇒斑鳩大塚古墳⇒斑鳩文化財センター⇒上宮遺跡⇒駒塚・調子丸古墳⇒中宮寺跡⇒三井瓦窯跡⇒瓦塚古墳群⇒笹尾古墳⇒小泉大塚古墳⇒JR小泉駅

小泉大塚古墳(奈良県史跡、大和郡山市小泉町)

 矢田丘陵東南裾部の丘陵の最高所に所在する古墳時代前期前半の前方後円墳です。昭和37(1962)年に最初の調査、平成8(1996)年に再調査が行われ、平成11年に奈良県史跡に指定されました。前方部は古くから削平され住宅団地2棟が建っており、後円部は背の高い擁壁に囲まれているため円墳のように見えますが、1962年の調査では前方部の痕跡が残っていたと報告されています。

 墳丘は全長88メートルで前方部は西を向き、後円部は2段築成で径50m、高さ7m、前方部幅約40m、高さ2mです。葺石、埴輪は確認されていません。埋葬施設は南北方向に主軸をもつ全長5.5mの竪穴式石室です。 特に注目されたのがその構造で、平らに加工された自然石を積み上げ、上半部の石積みを序々にせり出して合掌形の天井をつくるという特異な構造になっていました。後に発掘された天理市の黒塚古墳の竪穴式石室のような構造をしていました。石室については大和郡山市HPの画像参照。

 石室内から銅鏡7、内行花文鏡3、二仙四獣帯鏡1、画文帯神獣鏡、獣首鏡などが出土しています。また、鉄剣、刀子、短冊形鉄斧、槍鉋、土師器(直口壺片2、二重口縁壺片1)が出土しました。出土した鏡は古い鏡群であり、土師器は布留Ⅰ式にあたるため、古墳の築造は3世紀後半から4世紀頃と考えられます。

この地域に古墳時代前期前半の古墳が存在するとは驚きです。

<看板>
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<看板書き下し>

県指定史跡 小泉大塚古墳
平成11年3月19日 指定

小泉大塚古墳は、古墳時代前期の前方後円墳である。墳丘は宅地造成により前方部と後円部裾部が削られているが、本来の規模は全長約90m、後円部径約50m、前方部幅約40mで、後円部は2段築成される。埋葬施設は、現在埋め戻されているが、後円部中央に構築された竪穴式石室で、奈良盆地の前期古墳によく見られる大阪府芝山(柏原市付近)産の玄武岩割石に加え、事例の少ない矢田丘陵産の片麻状花崗岩を用い小口積みしている。石室の内測規模は、長さ5.5m、北小口幅1.1m、南小口幅0.7m、現存高1.3m~1.5mで、床面には割竹形木棺を設置した際のU字形粘土床が設けられている。
本古墳は盗掘を受けているものの、昭和三十七年と平成八年の二次にわたる発掘調査の結果、石室内から鉄剣一点・鉄斧一点・刀子二点・鑿(のみ)一点・鉋(やりかんな)一点・銅鏡七面以上(内行花文(ないこうかもん)鏡、獣帯鏡、獣首鏡、画文帯神獣鏡など)、壺形土器片など多数の副葬品が出土し、現在橿原考古学研究所附属博物館で展示保管されている。なお、墳丘からは葺石や埴輪の存在が確認できなかった。
小泉大塚古墳は、奈良盆地西北部に所在する前期古墳の中でも数少ない竪穴式石室を主体部とする古墳であり、また銅鏡を大量埋葬する古墳の中では、三角縁神獣鏡を含まない点など、前期古墳研究の上で学術的意義の大きい古墳と言える。

平成十九年三月
                              奈良県教育委員会


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<小泉大塚古墳:後円部>

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矢田丘陵の周辺遺跡を歩く その7

「矢田丘陵の周辺遺跡を歩く」 その7です。今回は笹尾古墳の報告です。

JR法隆寺⇒斑鳩大塚古墳⇒斑鳩文化財センター⇒上宮遺跡⇒駒塚・調子丸古墳⇒中宮寺跡⇒三井瓦窯跡⇒瓦塚古墳群⇒笹尾古墳⇒小泉大塚古墳⇒JR小泉駅

笹尾古墳

 この古墳は今回の史跡ウォークのハイライトを飾る古墳です。案内人が是非見せたい古墳と言われていました。確かにこの地域にこのような巨石の石室をもつ古墳があるとは全く知りませんでした。

 この古墳は1981年松籟荘内の宿舎建設工事の際、発見された古墳で、1982年の発掘調査で、この地域では非常に珍しい巨石を用いた横穴式石室が見つかりました。古墳は丘陵東斜面に位置し、古くに削平を受けていました。

この古墳は径約27mの円墳で、巨石を用いた両袖式の横穴式石室をもちます。石室の全長は12.5mで、玄室は長さ4.5m、幅2.6m、高さ2.2~2.6m、羨道は長さ8m、幅1.8m、高さ1.7~1.8mです。玄室の奥壁は二段横積で、東側壁は四段、西側壁は三段積みであり、二枚の天井石が横架されていました。羨道には東側壁に二枚、西側壁に一枚の巨石を据えていました。玄室床面には扁平な石が一面に敷かれ、羨道には排水溝が設けられていました。

盗掘が激しく、凝灰岩製家形石棺片、鉄釘、須恵器が出土しただけです。この古墳は6世紀末から7世紀前半に築造されたと考えられます。

<笹尾古墳説明板>

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