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明日香村橘寺

2014年6月29日に「聖徳太子の寺を歩く」催しで、橘寺や法隆寺の発掘を担当された帝塚山大学の清水昭博先生のご案内で、明日香村の橘寺に行きました。なお、今年、3月末の桜満開のときに訪問したレポートも参照ください。

聖徳太子と橘寺
 
  保井芳太郎著「大和上代寺院志」によると、用明天皇の皇居の地は磐余池辺であるが、橘寺の地は用明天皇別宮の地で、懐胎後の穴穂部間人皇后は、この橘別宮で敏達3年(574)年に厩戸皇子(聖徳太子)を出産した。聖徳太子の父橘豊日尊は、皇子を橘宮の高台にある上宮に皇子を住まわせたので、それ以来聖徳太子は上宮王と称されるようになった。

 用明天皇は585年9月に即位し、磐余池辺双槻宮に移った後も、聖徳太子は橘宮の上殿に住んでいたが、601年に斑鳩宮を造営し、605年に斑鳩宮に移った。


橘寺の伽藍配置

 寺院は通常南北に伽藍を配置するが、橘寺は地形上の制約から伽藍は東から西へ塔、金堂を配置し、回廊が講堂に取り付く四天王寺式伽藍配置をとる。なお、回廊が塔と金堂のみを囲み、講堂を回廊の外に配置する山田寺式伽藍配置との説もあったが、清水氏らの発掘調査により、四天王寺式伽藍配置であることが確定した。
 その発掘調査の時に、橘寺造営以前の下層遺構として、掘立柱建物の柱穴を検出した。また、飛鳥時代前半の瓦も出土し、ここに橘寺建立以前に宮があった可能性もでてきた。

<東門附近>
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<山門(東)>
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<門(東側)>
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<境内>
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<掲示板>
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塔基壇と心礎

 橘寺には飛鳥時代の寺院建築の貴重な遺跡として塔の基壇と心礎が残っている。飛鳥時代前半の塔心礎は地下式であり地下1.2mに心礎がある。心礎の形が独特で円のまわりに添え柱の穴が3個刻まれている。同様の心礎が野中寺や尼寺廃寺にもある。また、法隆寺若草伽藍の心礎の形状も円のまわりに4個の添え柱の小円が刻んである。ただし、若草伽藍の心礎は地上式である。また、本薬師寺の心礎も地上式である。

<地下式心礎:1.2m地下>
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<添柱穴付心礎>
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<金堂跡>
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<講堂跡>
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<橘寺下層遺構検出場所>
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橘寺の立地

 飛鳥地域の開発は蘇我氏が拠点とした島庄地域から始まり、橘寺付近から川原寺および飛鳥京地域へ開発が進んだ。橘寺の立地は東門を出ると石舞台から蘇我氏の拠点の島庄へ近い。また、橘寺は川原寺や飛鳥川飛鳥京を見下ろす良い立地をしている。

 聖徳太子の父の名前は橘豊日尊であり、橘という名前がつくので、橘地域すなわち橘寺附近に宮を有しており、その高台すなわち橘寺の地域に聖徳太子の上宮を想定しても何らおかしくない。今後、発掘調査によって聖徳太子が斑鳩宮に移住する前の宮の遺構が検出されると面白いと思います。

<橘寺から川原寺・飛鳥京跡>
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<山門(西側)>
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