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中宮寺跡史跡公園

 2018年5月13日に斑鳩町の中宮寺跡史跡公園がオープンしました。 中宮寺は聖徳太子が母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が居住していた宮(中宮)跡に寺を建立したと伝えられ、聖徳太子建立七カ寺の一つとされています。

中宮寺は飛鳥時代にオープンした史跡公園が所在する幸前(こうぜん)の地に創建されましたが、室町時代の永正年間(1504年~1521年)に、法隆寺の夢殿の近くの現在地に移りました。 天文年間(1532年~55年)頃に、伏見宮貞敦親王の皇女尊智大王(慈覚院宮)が入寺してから、門跡寺院となり、斑鳩御所とも呼ばれ、現在も門跡が住職です。

本尊は国宝菩薩半跏像(木造、伝如意輪観世音菩薩)で有名です。また、聖徳太子の妃の橘大郎女が聖徳太子が往生した世界を絹の刺繍で表した天寿国繍帳(国宝、中宮寺・奈良国立博物館で保管)も有名です。

1963年(昭和38年)から中宮寺跡の土壇の調査が始まり、1984年には土壇の南半分が塔、北半分が金堂であったことが発掘調査によって分り、塔と金堂が南北に並ぶ四天王寺式の伽藍配置であることが分りました。その後の調査では、回廊や講堂などは確認できなかったですが、寺の敷地を囲んでいた塀などが見つかっています。

中宮寺の塔と金堂跡の復元
 塔と金堂の基壇を復元し、礎石を復元して、建物の大きさが実感できるように整備しています。また、基壇の西側から北西部は農地のままの姿を残しています。 史跡公園北側の東屋風の休憩所からは、斑鳩三塔を望むことができます。他の2カ所の休憩所からは二塔が見えます。 当時と変わらぬ風景を残すこの地に立って、いにしえの中宮寺を訪れた人々に思いを馳せました。

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中宮寺跡史跡公園

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説明板
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法輪寺三重塔と松尾山NHK鉄塔
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法隆寺五重塔
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中宮寺跡(南側から塔と金堂)
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中宮寺史跡石標
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塔の基壇と礎石レプリカ
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金堂跡と塔跡説明
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四天柱と心礎レプリカ
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寺域の北を限る塀
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北門跡
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休憩所
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斑鳩三塔の方向
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北から南を望む寺域 葛城山遠望
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休憩所
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寺域の東を限る塀
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中宮寺の菩薩半跏思惟像

4月22日、京都広隆寺の弥勒菩薩につづいて、聖徳太子建立の七ヶ寺のうちの一つである中宮寺の御本尊の国宝・半跏思惟像を拝観してきました。高松宮妃殿下の発願により吉田五十八氏によって設計された本堂の池の廻りは、いま黄金色の八重の山吹で包まれとても奇麗です。

ご本尊は「瞑想の半跏思惟像」として余りにも有名でありますが、拝顔する度に、印象が異なるのはいったいなぜなのでしょうか。この日は何か考えているようでしたが、慈悲深い微笑みが、大変印象に残りました。もしも、このお像が弥勒菩薩さまであるならば、兜率天において、地上の阿蘇の破局的噴火を鎮めてくれるようお祈りしました。56億7千万年後には地上に降臨され人々にお釈迦様の教えを説かれるということなので、未来を信じて生きてゆきたいものです。

ご本尊出陳
 さて、中宮寺のホームページを見ると、ご本尊は日韓国交交流50周年を記念して、韓国国立中央博物館(ソウル)と東京国立博物館(東京)(HPにポスターが掲載されました)に御出陳されるので、5月12日から7月12日までご不在となるそうで、その間お身代わり像が本堂に安置されるとのことです。日韓二つの「ほほゑみの御仏・半跏思惟像」を是非拝観したいと思います。

中宮寺入口
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半跏思惟像写真
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山門入口
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立派な”かいずかいぶき”の剪定
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プロムナード
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皇后宮歌碑
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本堂正面
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正面右から本堂
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本堂西側
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山吹が美しい
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拝観中
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半跏思惟像写真
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西側廊下
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夢殿と五重塔
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花蘇芳
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八重の山吹き
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一重の山吹き
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矢田丘陵の周辺遺跡を歩く その4

 「矢田丘陵の周辺遺跡を歩く」 その4です。今回は中宮寺跡富郷陵墓参考地(山背大兄皇子の墓)の報告です。なお、富郷陵墓参考地は当日は通り過ぎましたが、翌日現地へ行ってきました。

JR法隆寺⇒斑鳩大塚古墳⇒斑鳩文化財センター⇒上宮遺跡⇒駒塚・調子丸古墳⇒中宮寺跡⇒三井瓦窯跡⇒瓦塚古墳群⇒笹尾古墳⇒小泉大塚古墳⇒JR小泉駅

中宮寺跡

 中宮寺は聖徳太子建立7ケ寺の一つです。現在の中宮寺から東に約400メートル離れた位置に中宮寺跡があります。創建中宮寺は塔、金堂が一直線に並ぶ四天王寺式の伽藍配置であったことが推定されています。昭和38年から発掘調査が行われ塔、金堂の基壇が発掘されています。平成13年に中宮寺跡全域の27,815㎡が国史跡として指定され、現在斑鳩町ではこの一帯を史跡公園として整備する事業を行っています。
 本ブログでも6月中旬に斑鳩町が行った中宮寺跡探検ツアーについて報告しました。

現地での説明では、基壇南側の低いところは、以前は溜池となっており、南側に堤防跡が高まりとなって残っている、この溜池のため中門跡がなくなっているのではないかと考えられているようです。

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<中宮寺跡基壇を望む>
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<基壇前の看板>

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現地看板内容の書き下しを掲載します。

史跡 中宮寺跡(ちゅうぐうじあと)
平成2年5月19日 指定
天寿国曼陀羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)や弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)で著名な中宮寺は、法隆寺東院の東隣にあるが、その他へは室町時代の移転と伝わり、創建当初は約500m東方の土壇の残る(旧)法隆寺小字旧殿を中心としたこの周辺に造営されていた。
昭和38年に初めて発掘調査が行われ、塔と金堂について多くの知見をえることができた。その後、昭和47年から昭和62年にかけて5次にわたって確認調査が実施され、寺院伽藍(がらん)や寺域が徐々(じょじょ)に明らかになっている。
塔跡については基壇(きだん)上面の側柱礎石が抜き取られるなど遺存状況はよくないが、基壇の規模は一辺約13.5mで、塔自体は一辺約6.8mと推定されている。そして、基壇中央には約2.5m地下において、花崗岩(かこうがん)製の塔心礎が遺存し、その上面からは金環、金糸、金延板小片、玉類等の埋納物が発見されている。
金堂跡については、部分的な確認調査であったが、基壇を二度造りなおしたことが明らかになった。創建当初は、凝灰岩(ぎょうかいがん)製切石による壇正積(だんじょうづみ)基壇と推定され、これを平安時代に縮小し瓦積(かわらづみ)基壇とし、さらに鎌倉時代に花崗岩の割石による乱石積(らんせきづみ)基壇に修造している。鎌倉時代の基壇規模は、東西約17.3m・南北14.1mで創建時もほぼ同規模であったと思われ、現存礎石や礎石抜き取り穴から桁間5間・梁行4間(各柱間は約2.6m)の建物が推定されている。
講堂、中門、回廊等の存在は明確になっていないが、講堂は創建当初は計画されたものの、造営されなかった可能性が高く、中門は、溜池開削によって破壊されたと考えられている。
寺域については、西面と北面の築地塀(ついじべい)跡(基底幅約2.1m)を検出しており、築地塀外側には、幅約2.4mの外濠がめぐり、築地塀内側にも内濠がめぐる。このことから、寺域は東西128m,南北165mと推定されている。なお、北門や南門の一部や西面築地に並行する南北の古道を検出している。
出土遺物としては、創建瓦の単弁蓮華文軒丸瓦(たんべんれんげもんのきまるかわら)をはじめ、飛鳥時代から室町時代までの瓦がある。このことは、伝えられている寺院の消長と軌を一つにする。
中宮寺は聖徳太子が、御母穴穂部間人皇后(あなほべのさきひとこうごう)の宮室を寺院にしたと伝わり、聖徳太子創建七ケ寺の一つの「中宮尼寺」に比定されているものの、諸説があり定かでない。
しかし、飛鳥時代創建の法隆寺若草伽藍(わかくさがらん)とほぼ同時期に建立(こんりゅう)されたことは確かであり、上宮王家(じょうぐうおうけ)との深い結びつきのある寺院として貴重である。
                           斑鳩町・斑鳩町教育委員会


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富郷(とみさと)陵墓参考地

法起寺の西に位置する地元では「岡の原」と呼ばれる独立丘陵の頂部にある直径約30mの円墳が宮内庁により富郷陵墓参考地に治定されている。 円墳は岡の原の頂上付近のほんのわずかな部分に過ぎない。円墳の回りは民有地の柿や葡萄畑となっており、円墳に至るためには畑を通らないと到達できない。この陵墓参考地は聖徳太子と刀自古郎女の間に生まれた山背大兄皇子の墓であるとの伝承があり、宮内庁により陵墓参考地として管理されている。この古墳付近で埴輪片が採集されていることから、この古墳は7世紀を遡ることは確実と考えられている。

<岡の原>
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<富郷陵墓参考地:宮内庁管理>
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<宮内庁の看板>
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<古墳の囲い>
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史跡中宮寺跡探検ツアー

 斑鳩町では平成26年度より中宮寺跡を史跡公園として整備する事業をすすめていますが、2014年6月15日に斑鳩町教育委員会により「史跡中宮寺跡探検ツアー」が開催され、史跡の説明と整備事業の説明がありました。

 中宮寺跡は現在の中宮寺の東400mの所にあり、寺域は東西126m×南北165mの広大な面積を占めています。昭和38年(1963)年以来14回に渡る発掘調査が行われ、塔跡と金堂跡が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置が検出されています。 本日は斑鳩町教育委員会の荒木氏が発掘時の写真を示しながら現地を案内して頂きました。 中宮寺跡の遺跡は1400年前の飛鳥時代にもさかのぼるきわめて重要な遺跡です。

<斑鳩町マスコット パゴちゃんのお出迎え>
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<中宮寺跡基壇>
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<現地説明板>IMG_8213s.jpg

塔跡基壇

<塔心礎位置とやぐらの位置>
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<塔の地下式心礎>
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<心礎跡>
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<韓国の例>
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金堂跡基壇

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<礎石>
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<聖徳太子絵伝に描かれた法興寺(中宮寺)>IMG_8264s.jpg

<梵鐘(中宮寺銘あり)>
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<幢幡遺構>
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<斑鳩条里遺構溝:西に約20度偏緯>
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