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外宮参拝と斎宮跡を巡る その6

斎宮跡周辺の史跡

竹神社(明和町斎宮)
 式内社で、郡名(郷名)の多気多介あるいは当地氏族竹首(たけのおびと)、竹連(たけのむらじ)に由来する社名です。祭神は長白羽神(ながしらは)です。古くは大彦命(竹田臣の祖:安倍氏の祖)とされていた。現社地はもと野々宮神社の鎮座地であったが、発掘調査によって、平安時代斎宮の中心(斎王のいた内院)であることが分った。

竹神社
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 旧竹神社の社地は、現在地の北西1キロの斎宮歴史博物館近くの台地端の祓川近くの場所にあったが、明治41年(1908)に移転した。藪の中に「式内郷社竹神社御趾 昭和十六年三月建」の石碑が建っていました。

竹神社(旧社地)
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石碑
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祓川(明和町竹川)
 斎王が伊勢参入(群行)の際、禊(水による祓い)をした祓川が、竹神社旧社地の近くにあります。斎王が6月と12月の月次祭で参宮する折、禊をした隋近の川にあたります。祓川はもとは櫛田川の本流であったそうで、斎宮跡の西の堺にあたります。

祓戸跡
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祓川説明板
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祓川(神宮橋跡)
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祓川(斎王が禊した川)
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奇麗な水
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神宮橋跡
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花園の碑(明和町竹川)
 近鉄線沿いに「花園の碑」が建立されています。源氏物語「竹河」巻に藤待従(玉鬘の三男)が歌った歌謡があり、竹河の橋詰にある花園という地名が出てきます。竹河とはここの祓川のことです。

花園顕彰碑
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参考HP
斎宮歴史博物館
日本遺産斎宮









外宮参拝と斎宮跡を巡る その5

斎宮跡の発掘調査

 史跡東部には平安時代の斎宮跡の10分1の模型が造られていました。中国西安市の大明宮跡の公園にも同様に大明宮の復元模型が屋外展示されていました。 ただし、中国の建物は礎石建ちで瓦葺でしたが、斎宮跡の建物は掘立柱立で檜皮葺か多くは茅葺屋根でした。

 斎宮跡からは方格地割が確認されています。東西7区画、南北4区画で、1区画は長岡京と同じ400尺(約120メートル)で、13メートルの側溝のある道路が巡り、斎王がいた内院は東3列、南2列に位置し、現在その上を近鉄線が斜めに横切っています。

出土遺物としては奈良三彩、緑釉陶器、灰釉陶器、陶製硯(円面、風字、蹄脚、水鳥、羊の形)、土馬、石帯、皇朝銭(和同開珎、延喜通宝)、各官司に関わる墨書土器皿などが出土しています。

大来皇女を初めとする飛鳥・奈良時代の斎王の内院は史跡西部の祓川に近い台地に想定されています。現在、古里と呼ばれているあたりです。現在、方位の異なる柵列で囲まれた二区画が重なって確認されています。

この近くに、三重県立斎宮歴史博物館が平成元年(1989年)に開館しました。斎王に関する展示や発掘による出土物が展示されています。

三重県立斎宮歴史博物館と右手に方墳
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斎宮歴史博物館
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館内

斎王と女官
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斎王
斎王の神宮への参宮は六月、十二月の月次祭(つきなみさい)、九月の神嘗祭(かんなめさい)の三節祭のときだけで、他は神に近づくための清浄潔斎の日々を斎宮でおくります。
神嘗祭のときは、8月晦日に斎王は尾野湊(明和町大淀(おいず))で禊(みそぎ)をおこない、九月十五日に伊勢市小俣(おばた)町の離宮院に入ります。翌十六日、ここから外宮へ赴き、離宮院へもどり一泊します。翌十七日には内宮へ向かい、その日は離宮院で泊まり、十八日に斎宮へもどります。

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斎王の輿(模型)
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出土円面硯
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出土土馬
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遊具
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加利宇知(初公開:韓国製遊具)
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外宮参拝と斎宮跡を巡る その4

 斎王は初代の豊鍬入姫命から南北朝の後醍醐天皇の祥子内親王まで76人の内親王または皇女が任じられ、それ以降は廃絶しました。制度として整備されたのは大海皇子が壬申の乱(672年)のとき、朝明郡迹太川(現四日市市)で、天照大神(日の出の太陽)を望拝し、勝利を得たことに感謝して、大来皇女を斎王に任命して以降です。それ以来、多気郡明和町に斎宮が所在したと考えられます。

斎宮跡は1970年(昭和45年)の住宅団地造成に伴う発掘調査で、国内最大級の彩色土馬や蹄脚硯が出土したことから、本格的調査が行われました。1979年(昭和54年)には、平城宮跡より広い東西2キロ×南北700メートル、約137ヘクタールの面積(甲子園球場35個分)が国の史跡として指定されました。

それまでは、斎宮は幻の宮で存在が疑われていましたが、考古学の調査を通じて、初めて日本書紀や続日本紀に記されていた斎宮の存在が実証されました。

斎宮は斎王が潔斎のため居住した宮殿(内院)とその事務を取り扱う斎宮寮という役所から成り、斎王に仕える女官や官人・雑用人を含めて多い時には520人ほどの人々がいました。


最近、斎宮駅とその周辺が整備されきれいになりました。この附近は平安時代の斎宮跡の中心部分で平安時代の斎宮の模型が展示されています。

近鉄斎宮駅付近
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斎宮駅
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伊勢富士
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案内図
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いつき茶屋
いつき茶屋で食べた明和町観光協会創作の海の幸・山の幸をとり揃えた「斎王宝箱」(事前予約が必要)は、とてもおいしかったです。「鮫たれ」は珍味でした。

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1/10斎宮模型
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神殿
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さいくう平安の杜

 平安時代の斎宮寮の役所を再現しています。

道路の幅も再現
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正殿
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西脇殿
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東脇殿
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井戸
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外宮参拝と斎宮跡を巡る その1

2016年1月10日、歴史関係文化会の催しで、伊勢市駅前に現地集合し、皇學館大學岡田登教授の案内で、伊勢神宮外宮参拝を行いました。その後、電車で斎宮駅まで移動し、夕刻まで斎宮跡周辺の史跡を先生の解説付きで巡りました。 外宮参拝に先立って、神楽殿で二人の舞楽を参拝したあと、正殿や各宮を巡りました。まだ正月とあって初詣で参拝される方が、長蛇の列をなしていました。

外宮境内案内(北御門口)
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外宮の由緒
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手水舎
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表参道
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一の鳥居
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神楽殿
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正宮
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大木跡
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伊勢市駅~外宮の参道
 伊勢市駅からの参道の両側に、おかげ横丁のようなお店が沢山できていました。写真は赤福の支店です。左手は「ぱんじゅう」のお店のようです。高校生の頃、「七越ぱんじゅう」という安くておいしいお菓子があって、それで空腹を満たしていました。その店はなくなったと、うわさに聞いていましたが…。関西TVさん取材して欲しいですね。

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国史跡斎宮跡

2014年6月12日伊勢自動車道玉城ICで下車、サニーロード経由で三重県多気郡明和町斎宮に位置する国史跡斎宮跡に行ってきました。

 斎宮とは天皇に代わって伊勢神宮に仕えた未婚の皇女(斎王)の宮殿と役所(斎宮寮)の総称です。実在が確認できる最古の斎王は卜定され、673年(天武2年)桜井市の泊瀬斎宮(場所は未確定)を経て伊勢に入った天武天皇の皇女である大来皇女です。それ以来後醍醐天皇の斎王、祥子の卜定まで660年間続きましたが、その後は“幻の宮”となりました。

斎宮跡は1970(昭和44)年まで地下に眠っていましたが、昭和44年祓川(はらいがわ)沿岸の古里地区における大規模宅地造成に伴う事前発掘調査を発端として、歴史や文学に名高い斎宮との関連がにわかに注目されるに至りました。このため、三重県教育委員会は、昭和48年度から3ケ年間範囲確認調査を実施し、東西2km、南北約700m、面積137ヘクタール(甲子園球場35個分)に及ぶこの地区一帯が斎宮跡であることを確認し、昭和54年3月27日国の史跡に指定されました。現在もまだ発掘調査がすすめられています。

 発掘調査によって奈良時代後期から平安時代前期にかけて側溝を伴う幅12~13mの道路によって碁盤の目状に区画された方格地割があることが分かりました。一辺120m(約400尺)の区画が東西7区画、南北4区画存在することがわかりました。現地では1/10史跡全体模型を見学できます。


<斎宮歴史博物館>
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<史跡全体地図>
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<いつきのみや歴史体験館>
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<1/10史跡全体模型>
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<斎王の森>
斎王は廃絶されたのちは、幻の宮として伝承に面影をとどめたにすぎなかったが、この森の一画だけが古くから「斎王の森」と呼ばれ残されてきた。郷土の先人達も、この森を中心に斎宮跡の保存顕彰に努めてきた由緒ある地である。この森は昭和33年まで旧斎宮村の村有地であったが、以後伊勢神宮に寄附され現在では神宮司庁により管理されている。

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<竹神社>
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