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伊勢神宮外宮参拝


2017年1月、近鉄電車の伊勢神宮初詣割引きっぷを利用して、伊勢神宮外宮参拝と松阪の史跡を巡りました。伊勢神宮外宮周辺は学生の頃、住んでいた所で、除夜の鐘を聴いてから、徒歩で外宮に初詣に行っていましたので、懐かしい場所です。

今回、伊勢市駅に降り立った所、外宮への参道の両側のお店が綺麗に整備され、おかげ横丁のような街並みができており、驚きました。昔は外宮の方も大変賑っていたようですので、その復活を目指しているのかも知れません。しかし、七越ぱんじゅう店はどこにも見当たりませんでした。

伊勢神宮外宮では、新年を寿ぐ大勢の参拝者が詰めかけていました。外宮祈祷殿では御神楽を奉納し、楽士の奏でる典雅な雰囲気の中、倭舞や人長舞を奉納しました。その後、外宮正宮の参拝を行いました。

外宮では、今から約1500年前の雄略天皇22年(478)に、丹波の国から豊受大神をお迎えし、それ以来毎日、朝夕二回天照大神様にお食事をお供えする儀式(日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)が行われています。夏は8時と16時、冬は9時と15時にお供えします。外宮でお食事をお供えするのは、まず外宮で賞味をしてから、内宮の神様にお供えするからという説もあるようです。

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祈祷殿入口
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祈祷殿正面
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式年遷宮前の正宮の場所
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外宮正宮
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三ツ石(三個の石を重ねた神聖なお祓いの場所:手をかざさないこと)
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木を切ったら苗を植える
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土宮
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井戸
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下御井神社
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伊勢市駅から外宮参道が一直線につづきます。
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モニュメントとしての鳥居
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献灯の趣旨説明
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参道両側に店
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旅館山田館
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昔の写真
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旧郵便局
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外宮参拝と斎宮跡を巡る その3

斎宮は五十鈴川辺りから櫛田川辺りの明和町斎宮へ遷る

 日本書紀、雄略天皇三年(459年)条に、雄略天皇の皇女で斎王・栲幡皇女(たくはたのひめみこ)(稚足姫命:わかたらしひめ)による神鏡紛失・自害事件が記されています。讒言により、皇女が「妊娠した」疑いをかけられ、身の潔白を証明するため、皇女は神鏡を持ち出し、五十鈴川のほとりに埋め、首をくくって自害しました。

この事件以降、同様のことが起きないように、斎王のいた宮を神宮から遠く離し、五十鈴川の辺りから下樋小川(松阪市金剛川か)へ遷し、最終的に天智天皇甲子年(664)に、櫛田川内の原位置(明和町斎宮)に移転したと考えられます。

外宮の創祀
  
 以上の斎宮の移転のとき、倭姫命の母方にあたる丹波(後)国から、食の神である豊受大神を度会郡沼木郷高河原の地に遷し、雄略天皇二十一年(477年)に外宮を創祀したものと考えられます。

歴代斎王(第一代~第十代)

初代から10代までの斎王の名前を記す。三重県立斎宮歴史博物館では、実在の斎王は大来皇女からであるとしているが、第一代から九人の斎王が実在していなかったという実証はなされていない。

崇神・垂仁天皇  第一代 豊鍬入姫(とよすきいりひめ)
垂仁・景行     第二代 倭姫(やまとひめ)
景行         第三代 五百野(いおの)
景行         第四代 伊和志真(いわしま)
雄略         第五代 稚足姫(わかたらしひめ)
継体         第六代 荳角(ささげ)
欽明         第七代 磐隈(いわくま)
敏達         第八代 菟道(うじ)
用明~推古     第九代 酢香手姫(すかてひめ)     
天武         第十代 大来皇女(おおくのひめみこ)

日本書紀の記述内容が、考古学によって実証されることは、近年多々あります。

参考文献: 岡田登 "斎宮跡とその周辺を巡る"、「近畿文化」794号、2016年.1月) 




外宮参拝と斎宮跡を巡る その2

天照大神は大和から伊勢へ
 
日本書紀、崇神天皇六年条によれば、崇神天皇の宮は三輪山麓の磯城瑞籬宮にあり、宮中に天照大神・倭大国魂の二神をお祀りしていましたが、国内に疫病が多く、天照大神を崇神天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)に託して、大和の笠縫邑(現桧原神社付近)に神籬(ひもろぎ)を立てお祀りしました。

日本書紀、垂仁天皇二十五年条によれば、垂仁天皇皇女の倭姫命(やまとひめ)は豊鍬入姫命から天照大神を託され、各地を巡ったあと最終的に伊勢国度会郡宇治郷の五十鈴川のほとりに遷しました。天照大神は、「伊勢国はしきりに浪の打ち寄せる傍国の美しい国である。この国に居りたいと思う」と云われました。そして、「祠を伊勢の国に立てられました。そして斎宮(いつきのみや)(斎王のこもる宮)を五十鈴川のほとりに立てました。これを磯宮(いそのみや)といいます。天照大神が始めて天より降りられたところです。」

祠に八咫鏡を奉安し、そのそばに倭姫が入る斎宮を興し、それらを合わせて磯宮(後に伊勢)と称したとあります。これは、日の出、日の入りを祈るため、日毎朝夕の大御饌に奉仕することを意味します。現在、内宮の外玉垣内に四丈殿(もとは斎王候殿)として残る姿が鎮座当初の形と思われます。

最近、纏向遺跡で3世紀前半から3世紀後半、4世紀の大型建物跡が相次いで発見され衝撃を与えています。崇神、垂仁天皇は3世紀後半から4世紀にかけての初期大和王権であり、この時期に大和から伊勢へ神宮が遷座されたという日本書紀の記述と大形建物群の年代は矛盾しないからです。

内宮の看板
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内宮参拝

 2014年6月13日式年遷宮を終えた伊勢神宮内宮(皇大神宮)を参拝しました。内宮の宇治橋や境内は団体や個人の参拝者で大変にぎわっていました。新しくなった正殿の前に立つと何かすがすがしい気持ちになりました。
 
崇神天皇の御代に皇女の豊鍬入姫命に託され皇居を出た天照大御神大和の笠縫邑(桜井市桧原神社)に祀られましたが、その後垂仁天皇の御代に皇女の倭姫命に託され、各地を巡ったのち、垂仁天皇26年に、五十鈴川のほとりに鎮座しました。垂仁天皇と云えば桜井市の纏向珠城宮に都を置いた天皇です。

<内宮>  内宮の正殿は五重の垣に囲まれています。唯一神明造りの古代の様式を伝え、屋根は茅葺です。四本ある千木の先端は水平に削られています。また屋根には10本の鰹木がのせられています。宇治橋や参道は右側通行です。

<宇治橋>
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<皇大神宮説明板>
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<御手洗場>
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<内宮正殿>
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<別宮荒祭宮>
天照大神の荒御魂をお祀りします。昨年遷宮を終え新しくなりました。

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<別宮倭姫宮>
 倭姫命をお祀りしています。大正12年に倭姫命の陵墓とされる伝説地に別宮を創建されました。このあたりには神宮徴古館・農業館・神宮美術館・神宮文庫があります。また、倉田山には皇學館大學や旧制宇治山田中学の流れを汲む名門の三重県立伊勢高等学校などの文教施設もあります。

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<御集印倭姫宮>
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<別宮風日祈宮>
  風の神を祀る別宮です。

<別宮月読宮>
  内宮から徒歩20分の場所に月読宮があり四つの社殿が軸をそろえて並んでいます。向かって左から
         伊佐奈弥宮、伊佐奈岐宮、月読宮、月読荒御魂宮
の順に並んでいます。

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<別宮月読宮>
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<御集印月読宮>
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外宮参拝

 2014年6月13日式年遷宮を終えた伊勢神宮を参拝しました。すべてが新しくなった神宮はすがすがしい雰囲気につつまれていました。「外宮先祭」にならって、はじめに外宮(豊受大神宮:とようけだいじんぐう)と外宮の別宮である多賀宮(たかのみや)、土宮(つちのみや)、風宮(かぜのみや)、月夜見宮(つきよみのみや)を参拝しました。

 豊受大神は雄略天皇の御代に丹波の国から天照大神の食事をつかさどる御饌都神(みけつかみ)として外宮(山田原)に祀られ、衣食住をはじめあらゆる産業の守り神とされています。

雄略天皇と云えば5世紀後半に在位し、稲荷山古墳出土の鉄剣に「ワカタケル」と刻まれた天皇で、桜井市の泊瀬朝倉宮に都を置き、万葉集巻1-1の巻頭歌でよく知られています。同時代に外宮が創建されたわけです。

第62回式年遷宮を記念して外宮勾玉池の畔に「せんぐう館」が創設され、外宮殿舎配置模型や、外宮正殿原寸大模型(一部)、建築道具、装束、神宝などが展示されており、一見の価値があります。また、伊勢市駅(近鉄とJRの総合駅)から外宮に至る参道沿いに、内宮のお祓い町にあるようなお店がいくつかできており、今後外宮の方のにぎわいの復活も予感させました。

<外宮正宮>
 外宮正殿の千木は地面に垂直に削られています。そして鰹木は9本(内宮は10本)です。社殿の配置は内宮と異なります。外宮では参道は左側通行です(内宮は右側通行)

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<外宮御集印>
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<別宮多賀宮>
 外宮の第一の別宮です。豊受大神の荒御魂をお祀りします。昨年遷宮を終えました.
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<別宮土宮>
 土地の守り神、大土御祖神をお祀りしています。治水の守り神。
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<別宮風宮>
  雨風の神様
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<別宮月夜見宮>
 外宮北御門口から300メートル離れた所に月夜見宮がある。祭神は月夜見宮尊とその荒御魂をお祀りする。 月は潮汐とか出産とか、夜の世界に関係する。
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<月夜見宮御集印>
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