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風水で観る飛鳥の陵墓 その6(最終回)

風水で観る飛鳥の陵墓 その6 (最終回)

 近鉄壺坂山駅→土佐街道→吉野川東部幹線水路→キトラ古墳→檜前寺跡(於美阿志神社)→文武天皇陵→高松塚古墳→壁画館→中尾山古墳→天武・持統天皇陵→鬼の俎板・雪隠→金塚古墳→吉備姫王墓(猿石)→岩屋山古墳→近鉄飛鳥駅

今回は鬼の俎板・雪隠→金塚古墳→吉備姫王墓(猿石)→岩屋山古墳について報告します。

鬼の俎板・雪隠

 鬼の俎板・雪隠の付近は霧ヶ峰と呼ばれる美しい丘になっており飛鳥の原風景を少し体験できる。その南斜面に沿って道があり、鬼の俎板は急な階段を上った所にある。鬼の俎板は古墳の石棺式石室(横口式石槨)の底石がそのままの位置に残されている。その天井石はそこから転落した結果、上下が逆さになって、道の下に転がり、「雪隠」という汚名を着せられてしまった。なぜ転がったのかは原因がよくわかっていないが、恐らく人為的に古墳が壊されたのではないか。なお、鬼の俎板・雪隠は欽明天皇陵に関連した古墳として宮内庁管轄となっています。

<鬼の俎板>

<正面>
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<後ろから見た場合>
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<説明板1>
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<通路も宮内庁管轄>
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金塚古墳
 
雪隠の石を過ぎると小屋の屋根の付近に丸みを帯びた金塚(かなずか)古墳(もしくは、平田岩屋古墳)が見えてくる。推定では一辺が50メートルの方墳であるという。欽明天皇陵に匹敵する大規模な造成工事が行われた跡が見えるそうです。

<金塚古墳>
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<金塚古墳標柱>

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<段差のある地形1>
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<段差のある地形2>
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<古民家>
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欽明天皇陵

 欽明天皇陵(平田梅山古墳)東西に軸をもつ全長100メートルの檜隈では唯一の周濠をもつ前方後円墳である。葺石があり造り出しをもつ。
日本書紀には欽明天皇陵を「檜前坂合陵」に葬ったことが記されている。欽明天皇」の崩年(書紀年代で571年)は日本書紀が編纂される150年前のことであり、檜隈に葬られたことを間違う可能性は少ないだろう。

 来村先生の説明によれば檜隈の景観は霧ヶ峰で止まるものと考える。霧ヶ峰の丘尾は檜隈を北に流れる高取川の東岸に迫り、その対岸には西方の貝吹山からのびる尾根(現在は白橿住宅地になっている)が迫っており、高取川はわずか100メートルばかりの隙間を流れている。この自然の門戸から南が檜隈であろう。
 
したがって、見瀬(五条野)丸山古墳は檜隈の地域外にあるため欽明天皇陵とは考えない。

 欽明天皇陵は前方後円墳としては異例の立地をしている。通常の大型前方後円墳は尾根を切断して整形するのであるが、欽明天皇陵は尾根をえぐって整形している。そのため主軸が霧ヶ峰の稜線に平行に取られ、東西に向けられている。

 造営の方針は、鬼の俎板雪隠古墳や金塚古墳と同じであり、東西に並ぶ三基の古墳は同じ方針で造営されています。


<欽明陵の前方部と周濠>
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<前方部遥拝所への道>
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吉備姫王墓

 吉備姫王墓は欽明天皇陵の西側にある小円墳である。吉備姫王は皇極・孝徳天皇の母にあたる。この古墳の垣の中に猿石と呼ばれる花崗岩でできた四体の石像がある。向かって左から女、山王権現、僧、男と名付けられている。これらの石像は18世紀初めごろに附近の水田から掘り出されたとされている。なお、高取町にも同様の猿石、人面石がある。

 なお、来村先生によれば真の吉備姫陵は岩屋山古墳ではないかと主張されている。

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<女>
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<山王権現>
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<僧(法師)>
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<男>
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岩屋山古墳

 近鉄飛鳥駅の西の丘陵を少し登ると岩屋山古墳がある。一辺約40メートルの方墳で二段に築成されている。上段を八角形墳であるとする説もあるが明確ではない。

 この古墳の横穴式石室は見応えがある。入口の天井石は峯塚古墳と同様に屋根の軒先に似せている。軒の下の天井面に半円形の溝が掘られている。これは門扉をはめる溝であろう。羨道に入ると天井が一段と低くなるところがあって観音開きの二重扉の石室であったことが推定される。石室は安倍文殊院西古墳のように平に磨かれた綺麗な巨石で築かれており、玄室側壁の上部を内側に少し傾けている。古墳の築造年代は7世紀前半か大化改新前後とする研究者が多い。

 日本書紀皇極2年(643)9月19日条に皇極天皇の生母である吉備姫王を檀弓岡に葬ったという記事がある。皇極天皇は茅渟王(舒明天皇の異母兄弟)と吉備姫王(推古天皇の銘)の間に生まれた娘であり、母親を葬った可能性はある。

 
来村先生は岩屋山古墳を吉備姫王墓であるとする説を提唱されています。

<岩屋山古墳>
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<石室入口>
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<玄室の綺麗な石>
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<扉取付天井か>
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<説明版>
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風水で観る飛鳥の陵墓  その5

風水で観る飛鳥の陵墓ルート
  近鉄壺坂山駅→土佐街道→吉野川東部幹線水路→キトラ古墳→檜前寺跡(於美阿志神社)→文武天皇陵→高松塚古墳→壁画館→中尾山古墳→天武・持統天皇陵→鬼の俎板・雪隠→金塚古墳→吉備姫王墓(猿石)→岩屋山古墳→近鉄飛鳥駅

今回は中尾山古墳と天武・持統天皇陵について報告します。

(高松塚古墳~中尾山古墳への道)
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中尾山古墳
 中尾山古墳の墳丘は三段築成で二段の縁取りを設けた立派な八角墳であることが発掘調査で確認されています。 石室は花崗岩の巨石が使用されていますが、三尺(約90センチ)立方の箱が入る程度の広さしかなく、お骨を納める石函でした。

こうした状況から、中尾山古墳は真の文武天皇陵であると考える学者が多いようです。

中尾山古墳の景観的領域は高松塚古墳をはるかに凌ぎ、天武・持統天皇陵に比肩するとのことです。そして、高松塚古墳とは異なり谷奥部突出型の場所に古墳が選地されているとのことです。古墳を一周して八角墳であることを確認しました。

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<中尾山古墳の尾根を振り返る>
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(中尾山古墳~天武・持統天皇陵への道)

<生姜貯蔵穴>
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<尾根を切通道>
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<天武・持統陵>
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<谷筋>
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天武・持統天皇陵
 天武・持統天皇檜隈大内陵は日本書紀に記載されている。大内(おおうち)とは「大いなる谷の内」に築かれていることを意味します。

 大内陵は天武天皇が崩御した朱鳥元年(686)の一年後から工事がはじめられ、2年間に亘る殯宮の儀礼と盛大な葬儀が行われた後、持統2年(688)になって埋葬されました。その後、大宝2年(702)に58歳で没した持統天皇は遺誥(上皇の遺言)によって荼毘に付され、大内陵に埋葬されました。

 「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」には、鎌倉時代の文暦2年(1235)に現陵が盗掘を受け、そこには瑪瑙の石室(大理石)に漆棺と金銅製骨臓器が納められていたことが記されています。

 天武・持統陵は藤原京朱雀大路の真南に位置し、飛鳥で随一の雄大な谷を使用した最も壮大な谷奥部突出型の古墳である。この谷は吉備姫王墓のある尾根によって口を絞られ、そこでの谷の幅は150メートル、その開口部から大内陵のある谷奥まで約920メートルある。大内陵は谷筋から少し北側にそれた場所にあり南側のスペースを広くとっています。現場に立つことによって、このような景観がよく観察できます。

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風水で観る飛鳥の陵墓  その4

 今回は文武天皇陵と高松塚古墳について報告します。

<文武天皇陵>
 文武天皇は25歳の若さで亡くなり、五カ月後に飛鳥岡で荼毘に付され、飛鳥の安古岡(あこのおか)に葬られました。
 文武天皇陵の治定は元禄から幕末にかけて二転、三転しましたが、明治14年(1881)に「アンコウ」の小字名を残す当地に治定されました。 立地としては風水からは中途半端な位置にあるそうです。

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国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区
<休憩所>
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<高松塚古墳上部が見える>
 星宿広場が眼下にあり谷の最奥部である。 高松塚古墳の上部も見えている(樹木が茂り、古墳がよく見えないが…)
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<高松塚古墳兆域>
星宿広場を最奥部とする谷はやや左にそれながら、180メートル先で口を開く。開口部の幅は25メートルである。
左右を包む尾根の傾斜も緩やな美しい谷である。

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<高松塚古墳>
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犬養孝書万葉歌碑 (高松塚古墳前の小高い丘に建つ)
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碑面
 立念 
 居毛曽念
 紅之
 赤裳下引
 去之儀乎

立ちて思ひ  (たちておもひ)
居てもそ念ふ (いてもおもふ)
くれなゐの   (くれないの)
赤裳裾引き  (あかもすそびき)
去にし姿を  (いにしすがたを)
(万葉集 巻11-2550) 作者不詳


--

<地蔵堂>(古墳供養)
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<高松塚壁画館>
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風水で観る飛鳥の陵墓  その3

今回は於美阿志神社・檜前寺跡の報告です。

於美阿志神社
 
於美阿志神社(おみあしじんじゃ)の祭神は阿知使主(あちのおみ)です。阿知使主は渡来系氏族の東漢氏(やまとのあやうじ)の祖であり、応神天皇の代のときその子、都加使主(つかおみ)、並びに17県の自分のともがらを率いて渡来したことが「日本書紀」に記されています。また、日本書紀の雄略7年是歳条には、天皇は東漢直掬(やまとのあやのあたいつか)に命じて、新しい渡来人を上桃原、下桃原、真神原の三カ所に移して侍らせたという記事があり、檜前一帯は東漢氏の本拠地とみなされています。

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檜前寺跡

 於美阿志神社境内に7世紀に建立された東漢氏の氏寺檜前寺跡(ひのくまでらあと)(国史跡)があります。日本書紀朱鳥元年(688)8月21日条に、軽寺、大窪寺、とともに檜前寺に「30年を限り100戸を封ず」と記されており、この時期には建てられていたことが分かります。

1969年以降、奈良文化財研究所によって発掘され伽藍が検出されています。

 社殿の北に土檀がありこれが講堂跡です。桁行7間、梁行4間で四面に庇がつく大型建物で、北側の礎石が半分ほど残っています。また、他の寺院で例がない瓦積基壇がよく残っていました。

 講堂(7世紀末に建立)の南に石塔が建つ塔跡があります。礎石は2つを除いて残っています。なお、塔心礎が残っており、排水用の溝が観察できます。

塔(7世紀末に建立)の南に金堂(7世紀後半)があり、二重基壇の上に北向きに桁行5間、梁行4間の建物があったことが分かっています。なお、金堂には東西回廊がついており、中門に接続しています。中門(7世紀後半)は桁行3間、梁行3間の南北棟のものが検出されており、門は西向きに建っています

 このように檜前寺の伽藍は、西向きに建っており、しかも金堂が北面しており、他に例がなく、何故このような配置をしているのか説明がつかないようです。


<石塔婆(国重要文化財)>
 凝灰岩製で高さ4.3メートル、もとは十三重塔で上層二層分と相輪を欠き十一層である。塔身の四面に四方仏の種子を刻む。平安時代後期の造立と推定される。石塔解体修理の際、地下から旧塔心礎と供養具(国重要文化財)が検出された。

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<塔心礎>
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<塔心礎の排水溝>
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<講堂跡 礎石と瓦片>
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風水で観る飛鳥の陵墓 その1

 2014年5月25日、来村多加史先生の案内で「風水で観る飛鳥の陵墓」を巡りました。散策コースは以下の通りです。

 近鉄壺坂山駅→土佐街道→吉野川東部幹線水路→キトラ古墳→檜前寺跡(於美阿志神社)→文武天皇陵→高松塚古墳→高松塚古墳壁画館→中尾山古墳→天武・持統天皇陵→鬼の俎板・雪隠→金塚古墳→吉備姫王墓(猿石)→岩屋山古墳→近鉄飛鳥駅

近鉄壺坂山駅
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土佐街道
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低い2階は「つし二階」、縦格子窓は「虫籠窓(むしこまど)」
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「そでうだつ」のある古民家
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吉野川東部幹線水路(高取サイフォン)
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川の上をサイフォンが通る
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観覚寺遺跡(東漢人の拠点)
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キトラ古墳の風水
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阿部山集落越え
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キトラ古墳
建屋の場所がキトラ古墳(谷筋が埋められていた)
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谷筋はもっと深かった(地形改変された)
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特別史跡 キトラ古墳仮設保護覆屋(まもなく解体?)
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古墳空調装置解体され屑と化す
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