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2018年2月飛鳥寺西方遺跡現地説明会

 2018年2月25日、明日香村教育委員会は飛鳥寺西方遺跡の現地説明会を開催しました。これまで、飛鳥寺西門近くの入鹿の首塚附近の発掘調査からはじまって、10年にわたって調査を行って来ましたが、今回は最終調査で、遺跡の西限を明らかにすることが目的です。従来は飛鳥川の氾濫域と考えられていた場所の調査を行ったところ、建物の柱穴や石組溝が見つかりました。

 私が目撃した明日香村での発掘で印象に残っている発掘は、高松塚古墳壁画、キトラ古墳壁画、川原寺跡及び裏山での塑像などの発掘、水落遺跡、石神遺跡、エビノコ廓(大極殿)、酒船石下亀形石造物、飛鳥池工房跡(万葉文化館建立でかなり遺跡が破壊された)、飛鳥苑池遺跡、飛鳥板葺宮跡、嶋の庄遺跡、稲渕宮、坂田寺跡、檜前寺跡、牽牛子塚古墳、などなど数えればきりがありません。これらの科学的調査を踏まえた総合的な博物館を明日香村に是非、建立して欲しいと思います。

飛鳥寺西の農道(料亭裏)
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明日香村現地説明会テント
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現場付近地図
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現場付近写真
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日本書紀の記事(飛鳥寺西方の槻の木の広場関係)
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1区、2区、3区の現場地図
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1区写真(左は甘樫丘)
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東西に長い建物柱掘り形
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石組溝
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石組溝
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柱掘り形
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3区現地説明(前方甘樫丘)
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建物(小屋?)柱跡
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集積遺跡
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2017.2.26飛鳥寺西方遺跡現地説明会

  2017年2月26日に飛鳥寺西方遺跡の発掘調査現地説明会がありました。天候に恵まれ、1200人が説明会に来られたそうです。飛鳥寺の西の槻樹の広場は、中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠をして出会った場所としてよく知られています。また、壬申の乱では軍営が置かれたほか、蝦夷や隼人の饗宴を行った場所として「日本書紀に」登場します。

明日香村では10年計画で飛鳥寺西方遺跡の発掘調査を行ってきましたが、来年度で調査は終了するそうです。これまで、槻樹の根が出ないか期待されていましたが、見つからないようです。 これまでの調査では石敷きや砂利敷きの広場が発掘されています。今回建物跡が見つかり、砂利敷き広場に建物が建つ風景をどう想像したらよいか、とまどっています。もし楼閣とするならば、この位置に市場があったのでしょうか?だとするならば、ここは飛鳥川に近過ぎますね。

調査区の風景を以下に示します。
飛鳥寺西の入鹿首塚からテントのある所(調査区)を望む。右手は甘樫丘
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現地説明会会場
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調査区地図
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地図2
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今回の調査で出土した遺跡は以下の通りです。

調査区全体
西側から東方向を撮影
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拡大
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1.石組溝1
 南北方向の飛鳥時代の溝が検出されました。幅1.15m、深さ40cmで、溝の側石は2段です。底石はなく、砂礫が堆積しており水路として利用されていたようです。

石組溝1(南北方向)
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2.石組溝2
 東西方向の幅85cmの溝が検出されました。側石は抜き取られており、底石のみ検出されました。平成23年度に検出されたものと合わせて75mの溝が検出されました。なお、この石組溝2は北側に折れていることが分りました。また、並行した石列も検出されました。

石組溝2
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ここで北に折れます
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3.建物跡
 東西3間、南北2間以上の建物の柱穴が検出されました。この建物は物見櫓や楼閣のような建物ではないかと考えられるそうですがよく分かりません。

石組溝2の西に建物跡を示すテープ
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緑テープが建物跡
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柱穴(黄土)
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建物跡の西側の石敷き
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そのほか、調査区から土師器、須恵器、黒色土器、緑釉陶器、瓦が出土しました。奈良時代から平安時代の遺物も多いようです。





飛鳥寺西方遺跡現地説明会

2016年2月11日午前10時より、明日香村教育委員会による飛鳥寺西方遺跡の発掘調査現地説明会がありました。現場は飛鳥寺西門跡を出て入鹿の首塚から少し南下した所で、飛鳥ファンにとってはおなじみの中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠のときに出会った槻樹(つきのき)の広場と目される場所です。この日は好天にも恵まれ、1200人もの古代史ファンが見学に訪れていました。 明日香村教育委員会では飛鳥寺西方遺跡の発掘調査をはじめて8年目になりますが、槻樹の根などはまだ見つかっていません。
 
現場の地図(配布資料より)
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入鹿首塚から現場方面(右側奥の丘陵は甘樫丘)
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首塚から南方面
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今回の調査で見つかった遺構は、1区の石組溝です。この溝はほぼ正方位で南北の溝で、北から西に約5°振っています。最初の溝の幅は110cmありましたが、後で40cm程度の幅に作り替えられたようです。この溝は平成24度調査で確認された砂利敷面と同一面に造られているので、飛鳥時代の遺構と考えられるそうです。

1区手前が石組溝、向こう側が土師器集積現場
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学芸員による説明
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110cmの幅が40cmの幅になりました。
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そうそう、この幅となりました
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1区ではまた土器集積1が検出されました。平安時代の土師器の皿が等間隔に三ヶ所見つかり、すぐそばに火床と見られる黒く変色した穴も見つかりました。土器集積2は土師器皿2枚を口縁部を合わせて置かれていました。土器の検出により平安時代もこの場所が祭祀の場所として使われたようです。

土器検出現場 手前が土器1(三ヶ所土器が並ぶ)
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一つの集積場所の拡大写真
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土器2(口縁部が合わさっている)
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拡大写真
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2区では石列が約4m分見つかりました。東西方向に並んでいますが、西から北へ約22°振れています。この遺構は平成24度の調査の砂利敷きよりさらに下層で見つかっていることから、砂利敷き遺構より古い時代の遺構と考えられます。

石列(向こう側は甘樫丘)
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2段の石組
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飛鳥寺西方遺跡現説

 2013年2月2日(土)明日香村教育委員会による飛鳥寺西方遺跡の現地見学会が開催され、見学者が多数参加しました。発掘担当者による予定外の説明もありました。
飛鳥寺西は日本書紀に度々登場する歴史の舞台であり、槻の木が植わっていた広場です。
 日本書紀には以下のような記事があります。

(1)斉明3年7月15日条
『都貸邏国の男二人、女四人が筑紫に漂着した。「私どもははじめ奄美の島に漂着しました」といった。駅馬を使って都へ召された。
須弥山を像ったものを、飛鳥寺の西に作った。また盂蘭盆会が行われた。夕に都貸邏人(とからびと)に饗を賜った。』
注)都貸邏:タイ国のメコン河下流にあったドヴァラヴァティ王国と考えられる。
(宇治谷 孟 著「日本書紀」(下) 講談社学術文庫 p. 200)

(2)天武元年6月29日条(壬申の乱:大伴吹負の奇計)
『留守司の高坂王と、近江の募兵の使いの穂積臣百足らは、飛鳥寺の西の槻の木の下に、軍営を構えていた。』(同上 p.252)

(3)天武11年7月27日条
『隼人らに飛鳥寺の西で饗を賜わった。さまざまの舞楽を奏し、それぞれに禄を賜わった。出家者も俗人も皆それを見た。』(同上 p.293)

発掘現場は飛鳥寺西門から西方向へ20m程の入鹿の首塚の五輪塔が立っている所のすぐ西です。土を30cm~50cm除くと、7世紀中以降の石敷き広場が出てきました。日本書紀の記事の現場が、眼前に現れたような気がしました。

<写真1> 発掘現場は入鹿五輪塔に隣接
  飛鳥寺西門跡からから約40m西、入鹿の首塚の五輪塔のすぐそばです。田んぼの下、地下30cm~5 0cmの所に、面積約370平方メートルの石敷広場が現れました。7世紀中頃以降の遺跡です。飛鳥時 代の歴史の舞台が目の前に現れました。
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<写真2>円形土坑と石敷と砂利敷
  石敷は拳より少し大きいように見受けました。その中央には円形の土坑が見られました。土坑の回りを囲むように石が敷かれていましたが形状は不規則です。
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<写真3>石敷と砂利敷(写真右側が西で、飛鳥川・甘樫丘方向)
 石敷は土坑を囲む部分にありますが、飛鳥川寄りの西側には小さい径の砂利が敷きつめてありました。
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<写真4>五輪塔近くの円形土坑(写真手前が五輪塔)
 入鹿の五輪塔近くには直径約3mもの大きな土坑が見つかっています。
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飛鳥寺西方遺跡

11月27日明日香村教育委員会による「飛鳥寺西方遺跡」の現地見学会がありました.

今回の調査区は飛鳥寺西門跡,入鹿の首塚から南へ90mの地点です.飛鳥寺西方広場の南限として東西の石組溝が検出されました.また,飛鳥寺西門跡から続く南北の石組溝や,土管(上水道と推測される)の堀形が斜行する様子が検出されています.また,石列,砂利敷き,素掘り溝が検出されました.

<今回の調査区>
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<飛鳥寺西門跡遺跡写真>
 飛鳥寺西門跡にあった写真です.ここから90m南が今回の調査区です.南北の石組溝や掘立柱穴,土管が検出されています.

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<今回遺跡全体>
南北の石組溝と東西の石組溝がきれいに検出されています.南の限界がよくわかります.
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<南北石組溝他>
南北の石組溝と土管堀形が検出されています.

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<東西石組溝他>
東西の石組溝が検出されていますので,ここが南の限界です.
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