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法起寺の夕暮れ

法起寺のそばを通ると、大勢のアマチュアカメラマンが三脚を構えていましたので、私もつられて立寄りました。これから、夕焼けが美しく見える季節になってきました。今、斑鳩里のコスモス畑が満開です。

斑鳩里はコスモスが満開となりました。
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夕日がちょうど沈んだ後です
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夕暮れ時になると、伊丹空港へ着陸する飛行機がひっきりなしに飛んできます。
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法輪寺・法起寺のお正月

2016年正月の法隆寺、法輪寺、法起寺の風景を写してきました。斑鳩三塔の田舎の風景は、1300年前と基本的な地形が変わっておらず、風情があってなかなかいいです。

付近で見つけたポスター
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法隆寺上宮王院夢殿南門
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東院伽藍大垣(上は法輪寺方面)
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法隆寺境内東大門から夢殿方向
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五重塔と金堂
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金堂と五重塔
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法輪寺方面
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法輪寺山門
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法輪寺三重塔
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法起寺
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法起寺三重塔
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コスモス咲く法起寺

 法起寺のコスモスが見頃を迎えています。2015年10月23日は雲一つない晴天でした。カメラマンが夕日が沈むときの塔の写真を撮ろうと集まっていましたが、それほど多くの方はいなかったです。雲がないと撮影にはよろしくないそうです。腕章を巻いた地元の方が付近をパトロールしていました。斑鳩町が推奨してコスモスを植えている田もありますが、そうでない田もあります。

コスモス満開の法起寺
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法起寺近景
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法起寺遠景
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コスモス咲く法起寺
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夕日沈む法起寺
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伊丹空港行飛行機
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煙る法起寺
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法起寺のコスモス

 10月に入り斑鳩の里は夏過ぎて秋色に色付いてきました。 法起寺周辺の農家直売の店先には、イチジクと柿が並ぶようになりました。今、法起寺のまわりのコスモス畑が満開となり、カメラマンが増えてきました。 昨日、斑鳩の里を歩いてきました。

<法輪寺>

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<法起寺>

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<柿>
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<案山子>
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--

<法起寺>

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法起寺の歴史をさぐる展

 2014年3月18日斑鳩町文化財センターで開催されている「法起寺の歴史をさぐる―法起寺出土瓦展―」に行ってきました。この展示会の最終日でした。法起寺で出土した飛鳥時代から江戸時代までの瓦が展示されているとあって、特に聖徳太子の時代と重なる岡本宮時代の瓦に注目して見てきました。

1.法起寺の歴史

■606(推古14)年 岡本宮で皇太子が法華経を講じる
■622(推古30)年 聖徳太子臨終に際し息子の山背大兄王に、岡本宮を寺に改めるよう遺言した
■638(舒明10)年 福亮僧正が弥勒像を作って金堂を建立
■685(天武14)年 僧恵施僧正塔の造営に着手
■706(慶雲3)年  塔に露盤をあげて完成した

2.法起寺前身の岡本宮

 法起寺は斑鳩町岡本にあります。岡本という地名は現在ものこっています。日本書紀推古14年(606)に以下の記述があります。
『秋7月、天皇は皇太子を招き、勝鬘経を講ぜしめられた。三日間かかって説き終られた。この年皇太子はまた法華経を岡本宮で講じられた。天皇はたいへん喜んで播磨国の水田百町を皇太子におくられた。太子はこれを斑鳩寺(法隆寺)に納められた。』 (宇治谷孟著「日本書紀」(下)P.99, 講談社学術文庫)

 この記事の「岡本宮」は飛鳥にも舒明の「岡本宮」があることからいずれであるか意見がわかれていましたが、会津八一が鎌倉時代に法隆寺の僧顕真によって編纂された『聖徳太子伝私記』にある「法起寺塔露盤銘文」を解読し、法起寺前身の岡本宮であることを明らかにしました。

■ 岡本宮に関連する遺構
これまでの発掘調査により、現法起寺境内を中心に東西100メートル以上、南北180メートル以上の範囲にわたり、磁北より西へ20度の振れをもつ(以下、西偏20度とよぶ)岡本宮の遺構が出土しています。たとえば、
① 金堂跡基壇下層から西偏20度の石組溝出土
② 宮殿遺構に伴う井戸と構造がよく似た一木をくり抜いた大きい井戸が出土(現法起寺東南部、第7次調査)。
③ 西偏20度の掘立柱建物遺構が下層遺構から出土(法起寺南端、第12次調査)
④ 岡本宮の仏堂(?)のものと推定される7世紀前半の飛鳥時代の素弁蓮華紋軒丸瓦が出土

3.岡本宮関係の展示品
今回の展示は写真撮影禁止、図録なしで、A3版1枚の配布資料はテキストのみでしたので、画像を表示できません。
多分どこかのサイトに瓦データベースがあると思いますが…。

素弁八弁蓮華文軒丸瓦(軒丸瓦1~6)
 展示されていた軒丸瓦1(カケラが4種類)は素弁八弁蓮華文軒丸瓦で中房の蓮子の数が中心に1個周りに4個あり、弁の厚みが薄く尖った先端に点珠がつく「角端点珠」の軒丸瓦であり、中宮寺出土の1+8蓮子をもつものより古い形式だそうです。これより、この瓦は聖徳太子の岡本宮時代のものと考えられるとのことです。軒丸瓦2~軒丸瓦4も同様に飛鳥時代前半ごろの古い軒丸瓦だそうです。

須恵器の坏身と坏蓋
山背大兄王が630年代後半頃に造寺活動をはじめた整地土層から出土した7世紀前半頃の須恵器の坏身と坏蓋のカケラが展示されていました。

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