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西安寺第9次発掘調査現地説明会

 2019年12月8日午前10時より、奈良県北葛城郡王寺町舟戸2丁目の舟戸神社境内およびその周辺に所在する西安寺(さいあんじ)跡の第9次発掘調査現地説明会が、王寺町地域交流課によって開催されました。

 第8次までの調査で西安寺は、塔が手前に金堂が後ろに位置する、南向きの四天王寺式伽藍配置であったことが明らかになりました。なお、これまでの発掘調査の成果から平成31年2月22日には舟戸神社境内が西安寺跡として奈良県史跡に指定されました。

また、第8次調査で出土した素弁蓮華文軒丸瓦と法隆寺若草伽藍で出土した軒丸瓦(型式番号6B・7Ab)が、令和元年9月に、奈文研の協力を得て調査した結果、同じ木型で造られた同笵の瓦であることが分かり、西安寺と法隆寺は近しい関係にあることがうかがえます。

なお、現在、法隆寺大宝蔵院で展示されている若草伽藍出土の素弁蓮華文軒丸瓦は飛鳥寺と同笵のいわゆる星組の瓦で、今回西安寺跡から出土した瓦はそれよりは後の年代の瓦だそうです。

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舟戸神社前の池
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舟戸神社
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説明板
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拝殿
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奈良新聞記事(2019.12.7)
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調査区
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 今回の第9次調査では3つのトレンチが開けられ、次のような遺構が検出されました。

第1トレンチ:版築層と柱根の検出
 金堂跡の北側の調査区から、版築による整地層が1.35m以上あることが分かりました。
整地層の下方から飛鳥時代後半の須恵器(飛鳥Ⅱ杯H)が出土しました。
また、金堂基壇北端から北へ7mの地点で、4本の添え柱で支えられた直30cmの径柱根が検されました。柱根は伽藍中軸上に位置し、幡の竿(幢竿:どうかん)ではないかと推定されるそうです。
北回廊や講堂は検出されていませんが、伽藍の南北長は75m以上に及ぶ可能性があると推定されます。

第1トレンチ
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柱根
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整地層
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第2トレンチ:東回廊の検出
 金堂基壇東端から東へ約5mのところで東回廊を検出しました。回廊の上端幅4.6m、下端幅5.8m、高さ24cmで、内側と外側に雨落溝があります。これより、伽藍の中軸線で、折り返して西回廊の位置を推測すると、外側の雨落溝の位置が、現在の神社境内の西端のコンクリート水路の位置と一致します。飛鳥時代の地形が現在の区画に残っているとは凄いことです。このことより、伽藍の東西長は37.6mであったと推定されます。

東回廊の検出
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第3トレンチ:金堂基壇南端の乱石積の基壇外装と南側の雨落部分から大量の瓦が出土
 金堂基壇の南端から自然石の花崗岩を積み上げて化粧する乱石積の基壇外装を検出しました。その前面には幅65cm、高さ10~20cmで整地された犬走りがめぐる。
伽藍中軸線は北で東に15.7°東偏し、金堂基壇の東西長は14.1mと推定されます。
大量に出土した瓦では平安前期の軒平瓦が最も新しい。これより鎌倉時代までには建物が失われたようです。

金堂南端基壇 乱積石と瓦が出土
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埋もれた瓦の文様
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出土瓦
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西安寺跡現地説明板
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西安寺の発掘調査結果等より、飛鳥時代には斑鳩の仏教文化圏は斑鳩だけではなく、敏達天皇系とされてきた片岡の地にまで及んでいたのではないかと推測される。

付近の高台から大和川を望む
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参考文献
(1)王寺町地域交流課 ”西安寺跡第9次発掘調査 現地説明会資料” 、2019.12.8
(2)岡島永昌 ”王寺町の歴史”、王寺町、2015年9月23日発行
















明神山

 奈良県北葛城郡王寺町の明神山の麓に美しが丘という住宅地があり、明神四丁目のバス停から明神山参道の入口の赤い鳥居をくぐると、山頂まで舗装道路が続いています。

大阪と奈良の府県境にある王寺町西端の明神山は、標高273.6mの低山ですが、大阪から奈良盆地までの360度の大パノラマが開け、地元の人の案内で、眺望を楽しんできました。

 この日は天気は大変良かったのですが、少し霞んでおり、明石海峡大橋は霞んで見えませんでしたが、アベノハルカスは見えました。また、奈良盆地側の法隆寺の五重塔は、工事中の中門の素屋根を目標にして、よく見えました。

 明神山は江戸時代は、大坂と大和を結ぶ「送迎道(ひるめみち)」が通っており、大阪の国分から峠道が通じていました。江戸時代には、この峠越えの道は、お伊勢参りに使われ、山頂に「送迎太神宮」という神社が、建てられていました。現在は、山頂に別の「水神社」が建っています。

 明神山の北側の大和川が狭くなった谷間が亀の瀬と呼ばれる地すべり地帯です。 江戸時代は大坂から肥料など積んだ剣先船が帆を張って大和川をさかのぼり、ここで、荷揚げして、剣先船から漁梁船への荷継ぎが行われていました。 亀の瀬には急流と滝口があり、船がスムーズに通れなかったからだと思われます。なお、この漁梁船の船板が法隆寺西の里の家屋の板塀に利用されています。

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明神山水神社参道鳥居
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舗装参道
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山頂案内地図
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水神社
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舗装道説明
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十国国見台説明
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悠久の鐘
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畝傍山展望
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アベノハルカス展望
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六甲山地展望
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明石海峡大橋展望
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大和盆地 法隆寺展望
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信貴山展望
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亀の瀬
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明神山信仰
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達磨寺

 尼寺廃寺に続いて、北葛城郡王寺町にある達磨寺に行きました。 山号は片岡山、宗派は臨済宗南禅寺派です。本尊は達磨大師、聖徳太子、千手観音です。 この日は2004年に新築した本堂で、音楽のコンサートが行われており、本堂へは上がれないため境内だけを拝観しました。

  達磨寺は日本書紀推古天皇21年(613)の条に出てくる聖徳太子の片岡山飢人物語ゆかりの達磨大師の寺院です。本堂には鎌倉時代の舎利容器が置かれている。本堂の真下に横穴式石室をもつ古墳があり、片岡の飢人のお墓であると伝えられる。 これを含めて境内には合計3基の古墳があり、6世紀後半から7世紀初めのちょうど聖徳太子が斑鳩に進出する時期の古墳である。

<本堂>
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<古墳>
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<一夜竹>
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<雪丸塚>
聖徳太子の愛犬雪丸の塚です。
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