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飛鳥京跡苑池第13次調査現地説明会

 2019年8月10日、真夏の炎天下、午前10時少し前から橿原考古学研究所による飛鳥京跡苑池第13次調査現地説明会が開催されました。

 今回の調査区は北池で、これまで全く予想されていなかった、湧き水の湧出部の遺構(石組枡1、石組溝1)と流水部の遺構(石組枡2, 石組み溝2)が検出され、さらに流水部を囲む大形の石敷きや、6段の階段状遺構が検出されました。これらの遺構の利用目的については不明で、酒船遺跡との類似性から、苦しい時の「祭祀遺構」説が、取り沙汰されていますが、どのような祭祀が行われたかは全く不明です。中島のある南池では船を浮かべて、歌を詠み、宴会を楽しみ、北池では巫女さんが、湧水で身を清めて雨乞いでもしていたのでしょうか。

 飛鳥の遺跡で、いつも驚かされるのは宮殿跡付近には、整然とした石敷きがなされていることです。飛鳥は水と石敷きの都です。 とても美しい石敷きと、オアシスのように綺麗な湧き水を目にした、国内外から飛鳥の都を訪れた客人たちは、日本の都の美しさにきっと目を見張ったことでしょう。

 なお、現地説明会配布説明資料によれば、石積み護岸、湧水部、階段状遺構は、北池築造当初(7世紀中頃)のもので、流水部と石敷き、南北方向石組み溝、池内付属施設(州浜状の砂利敷き)は7世紀後半の改修によるものと考えられています。

 北池の調査は今後も継続するとのことですので、来年の今頃の現地説明会での新たな発見に期待したいと思います。

調査区(赤)
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遺跡(西→東)
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湧水部(奥)と流水部、石敷き
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石組枡1、溝1、石組枡2、溝2
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溝の敷石は天理砂岩使用
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石組枡1と水止板(凹型)、
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石組枡2(敷石は天理砂岩切石)
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階段状遺構(6段)
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遺構全体(北→南)
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木樋(平安時代以降)
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小山田遺跡(小山田古墳)第10次調査現地説明会

 2019年2月3日(日)橿原考古学研究所による明日香村小山田遺跡の第10次調査現地説明会に行ってきました。午後に雨となる予報でしたので、午前中に現場に行ってきました。小山田遺跡では2015年の掘割の検出(本ブログ記事参照)以来、巨大な方墳であることが確定しています。 今回の調査区は方墳の西辺部であり、墳丘部分を発掘して、その構造を明らかにし、古墳の範囲を確定することを目的としています。

今回調査区(赤色の部分)
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今回の調査によって、次のことがわかりました(説明会パンフレットより)。

1.墳丘盛土
  幅約1.3mを単位として盛土の作業をしている。盛土は砂質土と粘質土を用いている。盛土の厚さは10cm程度。
2.墳丘外表施設
  墳丘西辺も室生安山岩と結晶片岩を用いた板石積であったが、全て除去され破片だけが土に混じっている。古墳築造時期は7世紀中葉で少なくとも7世紀後半頃までの間に、板石は除去されたと見られる。
3.土器棺墓
  墳丘裾部が埋没しはじめた頃に造られた土器棺が出土した。7世紀後半から8世紀初頭頃に埋納したとみられる。
4.方墳の中軸線から墳丘盛土裾部までの距離は39.7mである。これを2倍すると、東西幅は計算上約80mとなる。
5.今回調査区の墳丘盛土裾部の基底の標高は113mであった。過去の調査で墳丘北辺板石積基底の標高は115mであった。  これより、墳丘は北から南へ向かって低くなっている。
6.墳丘北辺の長さは計算上72m、今回の調査で南辺は計算上80m越えることが予想される。

なお、古墳の被葬者について、舒明天皇の初葬墓とする見解や、蘇我蝦夷の大墓ではないかとする見解があるようです。

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現地説明会入口
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現場付近の等高線入り地形図
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現地説明会場パネルと説明員
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墳丘盛土断面オルソ画像(写真のゆがみを補正して作成した画像)
 一番右端が地山で、その上に墳丘盛土があり、一番上は後世の堆積土。どの現場の写真か分らなかった。
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墳丘構築法(板石を貼り飾る)
 左写真は5・6次調査。25度傾斜の地山の上に板石積裏込め盛土がある。
 右写真は今回調査墳丘盛土面。5・6次調査で見つかった北辺の掘割溝は2段の石敷構造。盛土斜面の一番下は青色の結晶片岩。その上は室生安山岩の板石積。 今回の調査で、5・6次調査で見つかった北辺と同様の掘割構造が、西辺にもあったと推定される。
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発掘現場・墳丘盛土など
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土器棺墓
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墳丘を構築した盛土
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現場付近校舎
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東の山々
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古墳北辺掘割はこの校舎の下?
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西辺発掘現場
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出土した室生安山岩(榛原石) 板石
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結晶片岩(緑泥片岩) 板石… 吉野川流域で採れる石
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2018年2月飛鳥寺西方遺跡現地説明会

 2018年2月25日、明日香村教育委員会は飛鳥寺西方遺跡の現地説明会を開催しました。これまで、飛鳥寺西門近くの入鹿の首塚附近の発掘調査からはじまって、10年にわたって調査を行って来ましたが、今回は最終調査で、遺跡の西限を明らかにすることが目的です。従来は飛鳥川の氾濫域と考えられていた場所の調査を行ったところ、建物の柱穴や石組溝が見つかりました。

 私が目撃した明日香村での発掘で印象に残っている発掘は、高松塚古墳壁画、キトラ古墳壁画、川原寺跡及び裏山での塑像などの発掘、水落遺跡、石神遺跡、エビノコ廓(大極殿)、酒船石下亀形石造物、飛鳥池工房跡(万葉文化館建立でかなり遺跡が破壊された)、飛鳥苑池遺跡、飛鳥板葺宮跡、嶋の庄遺跡、稲渕宮、坂田寺跡、檜前寺跡、牽牛子塚古墳、などなど数えればきりがありません。これらの科学的調査を踏まえた総合的な博物館を明日香村に是非、建立して欲しいと思います。

飛鳥寺西の農道(料亭裏)
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明日香村現地説明会テント
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現場付近地図
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現場付近写真
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日本書紀の記事(飛鳥寺西方の槻の木の広場関係)
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1区、2区、3区の現場地図
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1区写真(左は甘樫丘)
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東西に長い建物柱掘り形
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石組溝
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石組溝
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柱掘り形
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3区現地説明(前方甘樫丘)
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建物(小屋?)柱跡
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集積遺跡
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犬養万葉記念館

 明日香村中央公民館での講演会に出かけるため、私は橿原神宮前駅で近鉄電車を降り、東口2番バス乗り場から、石舞台経由飛鳥駅行のバスに乗りました。途中、バスの中で関東方面から来られた中年のご婦人が、私の後ろの席のシニアの男性の方に、飛鳥は初めてなので、どこに行ったら良いか尋ねていました。 男性の方は、眺めがよいので甘樫の丘へ行くことを薦めていました。そのご婦人の方は豊浦近くの登山口で下車されましたが、後はどうされたのかは分りません。 

 乗車したバスは目的地へ行くために、村内あちこちを迂回して、非常に大廻りをするものですから、シニアの方は私にこのバスは中央公民館に行くのですかと尋ねてきました。私は、はい、石舞台でUターンしましたが、川原寺前を通りますので大丈夫ですとお答えしました。

さて、明日香村のメインストリートは岡(おか)という地域です。ここには明日香村役場、郵便局、カフェなどがあります。 ここのバス停「明日香村観光会館」で下車して、地図や観光案内のパンフレットを入手し、まずここから10数分程度の徒歩圏内にある石舞台、飛鳥京跡、犬養万葉記念館、酒船石、亀形石造物、飛鳥寺を観光することをおすすめ致します。 ここは、まさに飛鳥京の中心部ですので必見です。 

現在、酒船石近くに、県立万葉ミュージアムというホテルと見間違うような絵画などを主体とした建物が建っていますが、ここは飛鳥時代の一大工房地帯で、富本銭などが出土した飛鳥池があったところですが、奈良県当局は遺跡を破壊して、施設を作ったため、工房跡の全貌は不明です。 ミュージアムの建物地下に一部、炉の跡が保存され見えるようになっていますが、ほとんどの方は気が付きません。もし、遺跡が保存され、遺跡を説明するガイダンス施設ができておればどれだけ、飛鳥時代の工業生産の仕組みが分ったかと思います。 

 体力に自信のある方は飛鳥寺から甘樫丘豊浦登山口から整備された階段を登って甘樫の丘に登られることをおすすめします。途中、犬養先生揮毫の志貴皇子の歌碑、
  「采女の袖吹き返す明日香風、京を遠みいたずらに吹く」
があります。 犬養節で、古代を遠み、この歌を朗唱されると、明日香風が吹いてくるかも知れません。

明日香の高松塚とキトラ古墳の位置は中心部から少し離れていますので、バスを利用されると良いと思います。高松塚古墳の壁画は貴重なもので、衣装や持ち物など国際色豊かですので、是非見学をおすすめ致します。キトラ古墳公園も最近整備され、四神の館には、おそらく世界最古の星宿図がVRの手法でみることができます。現在、壁画の実物が展示されていますので、北斗七星がどこに描かれているか、是非見つけて下さい。

田園風景がお好きな方は現在稲渕の棚田がきれいですので、石舞台から祝戸荘方面へ徒歩でお出かけ下さい。

先日、久しぶりに犬養万葉記念館に入ってびっくりしました。入場料は無料で、記念館横には無料駐車場もできていました。 館内は、明るく『つばいちカフェ』が開店しており、食事もできます。何よりも犬養孝先生関連の展示物が豊かでびっくりしました。
現在、記念館では、
  『犬養孝生誕110年、没後20年記念展「犬養万葉―明日へつづく道』 と題した特別展示が行われいました。

記念館の雰囲気は女性が入りやすいようになっていました。それもそのはず、2015年から、甲南女子大学で犬養孝先生の門下生であった、万葉歌語り活動で有名な、岡本三千代館長が就任され,当日犬養先生について色々とお話しさせて頂きました。 私はその日、たまたま、中央公論1972年7月号に掲載された、「明日香村村長日誌」 (岸下利一村長著)記事のコピーをもっていました。 高松塚壁画の発見当時の村長で、犬養先生も明日香保存に岸下村長とともにかなりご尽力されました。学生時代、灌木の茂る道なき道をかき分け甘樫の丘に登り、木の隙間から垣間見る大和三山をみやりながら、あの鼻声の独特の犬養節を聞いたことを思い出しました。

皆様、明日香村へ行かれた際には、是非、犬養万葉記念館に立寄ってやってください。

犬養万葉記念館
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岡の通り
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記念館展示パネル
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キトラ古墳公園

先日、明日香村に5つ目の国営飛鳥歴史公園「キトラ古墳周辺地区」が開園し、「四神の館」で壁画を見学してきました。今回、現説の帰りにキトラ古墳へ寄り、久しぶりに古墳周辺を散策してきました。明日香村の友人も言っていましたが、国が関わると、村の事業と比べて予算規模が桁違いに大きく、広い道も整備され見違えるように綺麗になります。明日香村では公園整備に伴い道路が整備され、宅地開発を行い、若者の定住化を図るようです。

キトラ古墳は開口部の谷幅約30m、谷奥までの距離が約230mの小さい谷を利用して造られた古墳です。古墳の位置は谷奥から北西に50mほどずれた位置にあります。なぜか谷の最深部に築かれるのではなく、「ずらし」 の位置に築かれる。丘の南斜面を半月形にえぐってならした平坦面の上に、直径8mほどの小さい円墳が築かれています。(来村多加史「風水と天皇陵」講談社現代新書、2004年)。ですから、谷の下部開口部からは古墳が隠れて見えません。阿部山の集落方面からのみ見える位置にあります。

公園ができる前は谷部は山の田であり、谷はもっと深かったが、公園整備に伴い、埋め立てられ、くねくね歩く遊歩道の感覚で散歩道が付けられていました。はっきり言って、都会の公園を整備する担当者であれば、満点の整備かもしれませんが、なぜ古墳がこのような場所に築かれたのか、なぜ石室の中に壁画が描かれたのか、飛鳥時代における歴史と文化に想いを馳せる場所にするには、何かもう一つ文化行政としては、欠けている気がしました。 

近年、私は中国や韓国の世界遺産や史跡を訪ねるツアーによく出かけていますが、これらの国では、行く度に次々と公共の博物館が整備され、遺跡から出土した遺物が解説付きで展示され、多くの若者が見学に出かけています。国民の教養を高め国の歴史と文化を知ろうとする努力がうかがえます。

明日香村には国立の飛鳥資料館があり、展示に工夫を凝らしていますが、規模も小さく、訪れる人は多くないようです。また、飛鳥池工房跡の遺跡を破壊して造られた県立の万葉文化館はホテルのような立派な建物ですが、歴史博物館ではなく、絵画の展示などが行われています。明日香村立の埋蔵文化財展示室は、リニューアルし、展示資料が一番充実していますが、建物が貧弱です。このように、国、県、村がバラバラに分散展示し、一貫性がありません。飛鳥にも国立の総合歴史博物館が一つあっても良いと思いますが…

国営飛鳥歴史公園「キトラ古墳地区」
この谷筋を利用してキトラ古墳が築かれている。ここからは見えない。
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谷筋の右側の道に沿って上がっていく。キトラ古墳が左上に少し見える。
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同上
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谷の深部から右手にキトラ古墳が見える
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谷筋を見おろす。金剛山と葛城山がきれいに見える
谷筋は埋め立てられ遊歩道ができている。公園化に伴いかなり地形が改変されている!!
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キトラ古墳
古墳は解体され、石室から壁画がはぎとられた。その後、古墳を再構築した。
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模型
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再構築された古墳
壁画は古墳の中にはない。被葬者の御霊はどのようにして慰めているのだろうか?
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古墳前遊歩道に乾拓?耳慣れない用語(鉛筆で拓本をとること?)
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子供達が拓本をとっていました。
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埋められた谷筋の遊歩道
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右の道を行くと四神の館へ行く
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左手に四神館駐車場(急坂カーブに出入り口:大変危ない)
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下の道が整備され見違えるような道になった
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キトラ古墳前の掲示板
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乾拓
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玄武の乾拓
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玄武
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朱雀
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2014年のキトラ古墳
阿部山バス停
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空調施設に囲まれたキトラ古墳
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谷筋(すでに埋められていた)
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2014年奈良新聞記事
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