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斉明天皇の神まつりと吉野宮を体感する その2

世尊寺(曹洞宗)  奈良県吉野郡大淀町比曽762

  有史会のバスは、明日香村を出て、吉野宮滝に向かう途中に、世尊寺に立寄りました。世尊寺の前身は、飛鳥時代に聖徳太子によって創建されたと伝わる比曾寺(国史跡)です。 「日本書紀」 欽明天皇14年条に、「泉郡の茅渟の海で、放光する樟を見つけて取り出し、天皇に献上した所、画工に命じて、仏像二体を造らせた、これが今、吉野寺にある」とあります。これは、仏像造像の最古の記事です。

 比曾寺は、顕真の聖徳太子建立46寺の一つであり、吉野寺、比蘇寺、現光寺とも呼ばれ、奈良時代、平安時代には、清和・宇多天皇が行幸され、藤原道長も参詣され、南北朝時代には後醍醐天皇も行幸されました。

 比曾寺の伽藍配置は薬師寺式伽藍配置を成し、東塔は聖徳太子が父用明天皇のために、西塔は推古天皇が、敏達天皇のために建立したと伝わります。両塔はは早い時期に焼失し、東塔のみ室町時代初期に再建されましたが、豊臣秀吉によって京都伏見へ移築され、さらに江戸時代には、徳川家康によって、近江三井寺へ移され、現存しています。

渡来僧の道璿は晩年、比曽山に入り、禅を伝えました。 また、神叡は20年間、比曽寺に在住して三蔵を修得しました。 鎌倉時代には、西大寺の叡尊が滞在して真言律宗の布教に務めました。

 金堂には本尊の放光する阿弥陀如来が祀られ、また、奈良時代に造像された高さ2.2mの放光十一面観音像が安置されているそうです。 また、境内には寄棟造りの太子堂があり、聖徳太子孝養像が安置されていますが、これらの像も拝観せず残念でした。

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比曾寺跡 (国史跡)
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猿の彫刻(伝左甚五郎作?)
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伽藍配置図
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比曽寺説明
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東塔跡
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礎石
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西塔跡
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礎石
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本堂
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太子堂
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説明
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十三重石塔
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芭蕉句碑

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斉明天皇の神まつりと吉野宮を体感する その1

2019年9月15日橿原考古学研究所の有史会のバス旅行で、研究所の重見 泰先生の案内の下、久しぶりに晴天下の飛鳥と吉野・宮滝の遺跡を巡って来ました。 コースは以下の通りです。

 近鉄橿原神宮前駅⇒ミハ山→飛鳥稲渕宮殿跡⇒(稲渕へ)男綱→飛び石→南淵請安墓→飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社⇒キトラ古墳壁画体験館「四神の館」⇒比曽寺跡⇒吉野歴史資料館(橿考研出張企画展「発掘 古代の宮滝遺跡」)→宮滝遺跡→桜木神社⇒浄見原神社⇒近鉄橿原神宮前駅

飛鳥の神名火(「ミハ山」説)
  天武天皇が飛鳥浄御原の宮から眺めた神名火山はどの山か?かって、岸俊男氏は、飛鳥京の南正面に位置し、「三輪山」と発音が似た、小字「ミハ山」を神名火山と見なしました。この山は三角形の形の良い山で、山頂付近には大きな岩座がむき出しになっていますし、飛鳥川上流に位置する点でも神名火山の条件に合致するとのことです。 地元では俗称「フグリ山」と呼ばれています。

持統天皇は天武天皇が崩御した時、次の歌を詠んでいます。

天皇の崩じたまひし時に、大后の御作りたまひし歌一首
『 やすみしし、我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひ たまふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも
問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに哀しみ 明け来れば うらさび暮らし  あらたへの 衣の袖は 乾る時もなし 』
(万葉集 巻 第二 159)

冬の川にかかる橋のたもとでバスは停車し、徒歩で祝戸荘方面へ向かいました。都塚古墳が左手中腹に見えます。私にとっては何十回も来ているおなじみの場所ですが、重見先生のお話を聞いていると、何か古代史の歴史の舞台に立った気にさせられます。FMラジオを忘れて来たので、今回は近くでお話をききました。

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神名火山=ミハ山
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祝戸荘・稲渕方面
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都塚古墳
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稲渕宮遺跡

 飛鳥川上流の稲渕川の西岸の地に造営された宮殿遺跡である。1977年(昭和52年)の発掘調査で見つかった、宮殿に関連した掘立柱建築群と中庭に大形の川原石がびっしりと敷き詰められた遺構が発見された。南側に四面庇付きの間口6間以上、奥行4間以上の正殿(東西棟)、中庭を挟んで北側に間口8間以上、奥行4間の後殿(東西棟)、東側に脇殿とみられる南北棟が2棟コの字型に配置されている。

明日香村の現地の説明板の地図の方角が何故か右側が北となっているので注意が必要である。

 この遺跡は出土した土器や硯から7世紀中頃の遺跡であり、653年に中大兄皇子らが難波から飛鳥にもどったときに造営された飛鳥川辺の宮と見なす見解が有力である。

なお、奈文研で発掘調査を担当された小笠原好彦先生は、最近出版した本の中で、現場は飛鳥中心部からはかなり離れているので、岸俊男説を紹介して、万葉集に詠まれた南淵に宮があった弓削皇子の宮も候補としてあげられるだろうと書いている。

 (小笠原好彦 「検証 奈良の古代遺跡-古墳・王宮の謎をさぐる」 吉川弘文館、2019年8月1日発行)

 
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玉藻橋付近
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勧請橋 男綱
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飛び石

犬養先生揮毫の万葉歌碑が建つ。 
歌碑がないときから先生に連れて頂き、万葉が詠まれたこの場所を訪ねたことが懐かしく思い出される。

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竜福寺と竹野王碑
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南淵先生墓への道標
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南淵請安先生説明
 608年小野妹子が裴世清を送って隋へ派遣されたとき、高向玄理、僧旻らとともに長期留学生(最短でも20年、中国政府国費留学生)の身分で中国に渡った。隋が滅亡し唐が興隆する様を体験して、640年に帰国し、大化の改新に役割を果たしたとされる。
僧旻は孝徳朝で重用されるが、南淵先生はそれまでに亡くなったらしい。しかし、先進国の文化をもたらし、日本の朝廷に大きな影響を与えた。

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南淵先生の墓

 南淵請安の墓は川向の朝風付近にあったが、こちらに移されたそうです。
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神社祠
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犬養孝揮毫万葉歌碑

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元の南淵請安墓(朝風)方面?
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飛鳥川上坐宇須多技比賣命神社

斉明天皇雨乞いの淵?
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飛鳥川上坐宇須多技比賣命神社
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石段
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中国五台山の旅 その10(南禅寺)

南禅寺(山西省忻州市五台県李家村五台山)

 南禅寺の大仏殿は中国現存最古の木造建築で、782年(建中3年)に建立されたことを示す墨書が平梁に残っています。南禅寺は五台山の中心部の台懐鎮からは、かなり離れているので、通常の五台山のツアーのルートからは外されます。今回、何回も中国の寺院を訪ね見識の深い西山先生のご配慮で、田舎道を通って到着した、南禅寺を拝観することができ、とても良かったです。 

日本には世界最古の木造建築が法隆寺に現存し、金堂は670年頃、五重塔と中門は711年頃の建築とされています。勿論中国に仏教が伝わったのは、後漢の時代、1世紀頃とされており、北魏の時代、5世紀頃から雲崗石窟が造られています。

大仏殿
  基壇の外装はレンガを積み上げて造られています。建物の壁もレンガを積み上げて造られています。屋根は一重の瓦葺で、中央に一対の 鴟尾が載っています。木造の斗栱によって屋根を支える構造を作っている。屋根裏の隅の垂木は扇型になっており、並行垂木は採用していません。

仏殿内部の中央には、石に綺麗な花柄を彫りタイル状に化粧した須弥壇が造られ、その上に仏像が17体安置されている。
 須弥壇上の天井は簡易折り上げ式にして天井を高くしている。 梁は3から4本の木を重ねて使って補強しています。また梁の上に蟇股を載せもう一段の梁を通して、高い天井を構成しています。

17体の仏像(塑像)
  本尊は釈迦如来坐像で六角形の2段の台座に坐っています。 文殊菩薩は獅子の上に騎乗し、普賢菩薩は象に騎乗しています。全体的に眼を見張るようなとても美しい仏像を拝観できとても嬉しかったです。やはり古いものはとても優れた仏像が多いです。本来、壁には壁画が描かれていましたが、保存するため現在は、別の建物に収納しているとのことでした。

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外壁
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全国重点文物保護単位
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山門
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境内配置図
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境内
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大仏殿(中国最古木造建築 782年建立)
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同上
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隅の組物
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扇垂木
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隅の組物
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隅の斗栱
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飛燕垂木と固定垂木
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配殿(壁画収蔵)
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寺務所
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配殿
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南禅寺図録より
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南禅寺全景
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建築構造1
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建築構造2
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墨書(建中三年)平梁
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同上
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17体仏像(塑像)
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童子
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釈迦如来坐像
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文殊菩薩像
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普賢菩薩像
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須弥壇
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壁画(一部)
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しび
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中国五台山の旅 その9(金閣寺)

 金閣寺は唐代の767年に創建された古刹で、円仁は五台山を去り長安に向かう際に、金閣寺に立寄り、堅固菩薩院に宿泊しています。そのとき、円仁は院僧から、日本の僧侶で最澄や空海らとともに804年に遣唐使船で中国に渡り、中国で亡くなった霊仙三蔵(れいせんさんぞう)の逸話を紹介しています。霊仙は2年間、金閣寺の堅固菩薩院に住し、その後移動して七佛教誡院に向いて亡くなりました。

 霊仙三蔵は興福寺の高僧で、日本人で唯一、中国皇帝から三蔵の称号を授与された、滋賀県近江出身の僧侶です。霊仙は中国の高僧「般若三蔵」から、サンスクリット語を学び、「大乗本生心地観経」の筆受と訳語を著しています。その業績を称えて「憲宗皇帝」から三蔵の称号を授与されました。なお、滋賀県大津市の石山寺に、霊仙三蔵直筆の「大乗本生心地観経」が現存し、境内にはその業績を称えた「霊仙三蔵顕彰碑」が建っています。

金閣寺境内には、「日本国霊仙三蔵大師行迹碑  中国金閣寺」と刻印された顕彰碑が建っており、感動しました。

円仁は金閣寺で大聖文殊菩薩が青色の獅子に乗っている像を拝み、霊仙の手皮に描かれた仏像と金銅の塔を見ました。
その他数々の佛跡や仏像を拝観しました。

金閣寺南天門
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金閣寺
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説明板
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大悲殿
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正面から
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横から
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上客堂
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白塔
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日本国霊仙三蔵行迹碑 中国金閣寺
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中国五台山の旅 その8(南台頂)

南台頂(標高2,474m:錦繍峰:【普済寺】)

 南台頂へはスケジュールの都合上、金閣寺参拝の後で、到着しました。南台頂は五台山の中で最も標高が低い山ですが、標高2、474mもあり、錦繍峰と呼ばれます。 天候は相変わらず悪かったです。  普済寺には、荒天にも関わらず大勢の参拝者がお参りに来られていました。 普済寺には智慧文殊菩薩をお祀りしています。智慧文殊殿がありました。 なお、西山先生のご案内で、古佛殿と古文殊洞に安置されている古い仏像を拝観しました。日本の飛鳥・奈良時代の仏像とよく似た仏像も拝観できました。近年の文革などで五台山の古い仏像が取り壊され、最近造像した煌びやかな仏像を多く拝観しましたが、やはり古い仏像はとても良いものが多いと思いました。

 普済寺の仏殿の裏にはチベット仏教のラマ塔形式の白塔が建っていました。

南台頂山門
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吉祥経碑
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南台普済寺
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四天王坐宝殿
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持国天
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古佛殿
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古文殊洞
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白塔
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智慧文殊殿
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チベット仏教白塔
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