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桜井市 笠そば処

 桜井市の三輪山北部の標高500メートルの山間部に所在する「笠そば処」で、おいしい「笠そば」を頂きました。 いつも秋になるとそば畑の収穫が報じられ、新そばを食べて見たかったのですが、今回初めてスケジュールがマッチして、新そばをたべることができました。私は「にしんそば」を食べたのですが、おいしかったです。天ぷらそば(搔き揚げ)は土、日のみ提供しているとのことでした。
地元の女性の方がお世話をしてくださいました。石臼で挽いたそばは舌触りがまろやかでおいしかったです。次回は、とろろそばに挑戦してみたいと思いました。

 笠地区では地域活性化のための対策として、昭和62年から国のパイロット事業によって、63ヘクタールの造成畑に「そば」を植え、、平成6年から女性たちによって「笠そば処」の営業を開始しました。その後、平成15年から、地元地区民が株主の有限会社「荒神の里・笠そば処」を完工し、営業を行っています。現地でそばを栽培し、刈り取り、加工し、販売まで一貫しておこなっています。また、お店では、地元産の野菜やお花などの販売をしています。

 「笠そば処」へのアクセスですが、今回は桜井市の国道169号線巻野内交差点を山の辺の道方面に入り、笠荒神の看板を見て、狭い道(対交不可)を、どんどん登って行きました。 幸い対向車はなく無事そば処へ着きました。
 最近、天理市の旧国道25号線仁興バス停から、笠方面に行く2車線の道ができたので、天理市以北にお住いの方にはお勧めです。また、名古屋方面からは福住ICで下車して、上記の道を行くと、「笠そば処」に行けます。

笠荒神にもお参りしてきましたので、後ほど紹介します。

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「笠そば処」地図
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「笠そば処」レストラン
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お店入口
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メニュー
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鶴瓶家族に乾杯、色紙
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新聞記事 そば畑の花
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造成したそば畑
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天理市 長岳寺の紅葉と地獄絵御開帳

釜ノ口山 長岳寺(高野山真言宗) 天理市柳本町508

 長岳寺では毎年10月23日〜11月30日まで大地獄絵(狩野山楽筆 江戸時代初期)が御開帳され、住職が地獄絵の絵解きをしてくれることで有名です。今年も11月29日に長岳寺へ出かけて、住職の絵解きを拝聴しました。とてもお話が上手で、お寺参りの功徳を解かれるので、安心します。日頃からお寺参りの際には、御朱印帳を持参して記帳して頂いていますので、地獄に於いて裁かれる裁判官に功徳を積んだ証拠として見せることができるとのことです。

 長岳寺の阿弥陀三尊像(重要文化財、1151年造像)は、平安時代にあって、次の鎌倉時代の先駆けとされる、玉眼を使用した日本最古の仏像として有名です。 奈良仏師の慶派の元祖、康慶の作ではないかと住職が説明されていました。

山門
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長岳寺案内板
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庫裏・旧地蔵院
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旧地蔵院・旧地蔵院持仏堂案内板
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持仏堂・普賢菩薩像
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楼門
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朝岳寺説明板
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本堂(絵解き会場)
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池に映える本堂の屋根
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楼門と本堂と浄土式庭園
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木津川市 蟹満寺

蟹満寺(真言宗智山派) 京都府木津川市山城町

 寿宝寺から木津川を渡って国道24号線に出て、奈良方面へ進むと、まもなく「蟹満寺」という看板が表れ、左折して案内板に従って奥まで進むと、蟹満寺に着きました。

 寺院発行の縁起によれば、蟹満寺は奈良朝以前に、秦氏の一族秦和賀によって建立され、後に行基菩薩の関与により民衆のあつい信仰を集めたとあります。1990年の発掘調査で7世紀末の大規模な寺院の遺構が発見されました。創建時の本堂は薬師寺の金堂の大きさに匹敵する規模であったようです。
 
 本尊の国宝の釈迦如来像は、白鳳時代の名作で、1300年前に造像された金銅の座像で、2m40cm、重さ2.2トンもあります。初唐様式の堂々たる尊像で、ほとんど完全に近い原形のまま今日に至っているとのことです。螺髪と白毫を付けませんが、手の指の間には水掻きの如き曼網相を備えており、人々救済のお姿をされています。
 一目拝顔したときは、一瞬、飛鳥大佛を思い浮かべました。 白鳳時代の金銅仏ですから、飛鳥時代の古来の仏像の流れをくむのではないでしょうか。

 蟹満寺は、平安時代の今昔物語に登場する蟹にまつわる説話で有名です。そのお話の概要は以下の通りです。

 『昔、観音を篤く信仰していた村の娘が村人に捕まえられた、蟹(サワ蟹)を放してあげました。数日後、その娘の父が、蟹を捕まえた蛇に対して、「婿にするから蟹を放してあげなさい」と言って放させました。ある夜、男に姿を変えた蛇がやって来て、娘に求婚を迫りました。父娘が困っていると多くの蟹が表れ蛇を退治しました。翌朝、庭には蟹と蛇の亡骸に満ちていました。そこで、父娘は蟹と蛇の亡骸を供養するためにお寺を建てました。』

山門

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本堂
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説明板
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京田辺市寿宝寺 十一面千手千眼観音像

寿宝寺(高野山真言宗) 京田辺市三山木

 寺伝によると、寿宝寺は704年(慶雲元年)に創建された七堂伽藍を備えた大寺でした。付近は、山本郷と呼ばれ、711年(和銅4年)には、大和と山陰道を結ぶ道の駅「山本駅」が置かれた場所であったので、「山本の大寺」と称されました。当初は300メートルほど東の木津川近くにありましたが、洪水に会い、現在地に移りました。

 住職に拝観をお願いすると、頑丈なお堂に案内され、素晴らしい十一面千手千眼観音(平安時代、重要文化財)を間近で拝観させてくれました。 実際に千本の手が実在し、掌には千眼が墨で刻印されていました。 この像は榧(かや)材で彫られた壇像で、彩色されていませんが、木目がとても美しく、とてもおだやかな彫り方をしています。 像高が169.1cm もあり、千本の手は大脇手と小脇手に分かれて、大脇手には、鏡や宝珠や呼び鈴など、いろいろなものを持ち、人々のさまざまな願いをかなえてくれそうでした。 

 住職は説明の途中で、お堂の扉を閉め、暗くしてから、照明を付けて、観音様を拝観させてくれました。すると、十一面観音様のお顔の表情が、とても優しいお顔に代りました。 昔は月の光でこの観音様を拝観するため、行事は夜に行われたそうです。


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山門

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本堂

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説明板

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十一面観音堂

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奈良街道、山本駅石碑

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京田辺市 観音寺(大御堂)の十一面観音拝観

 観音寺(大御堂) 京田辺市普賢寺下大門 真言宗智山派 

一休寺から観音寺までは、車で、山手幹線を通り、同志社大学京田辺キャンパスのチャペルを見ながら進むと、15分少々で到着しました。 旅行社の団体ツアー客などで賑わい、少々喧噪状態にあった一休寺と比べて、観音寺には旅行社の団体客はいなくて、大御堂は広々とした田園風景の中にあり、遠足で来た近くの普賢寺の幼稚園の子供達の遊び場となっていました。子供たちから、色々と話しかけられ、お話をしていると、とても心が癒されました。

 白洲正子さんの「十一面観音巡礼」の本を読んで、以前から一度是非、お目にかかりたいと思っていた国宝の十一面観音と、はじめて出会うことができ、とても感激しました。 受付の看板に導かれて、民家風の庫裏にて住職さんに拝観をお願いすると、本堂の前で待つよう言われました。 

本堂 ご本尊 十一面観音
(国宝、木心乾漆造漆箔、像高172.2cm、8世紀後半頃)

ほどなく袈裟を身に付け正装されたご住職が来られ、本堂内に導かれ、十一面観音のお厨子を開けられ、まずは線香に火を付け、お香を焚いて、焼香しました。 住職に促され厨子の真近まで行き、お姿を拝観させて頂き、とても驚きました。 予想以上に、美しく艶やかで、慈悲深い気品あふれる、知性的なお顔をしており、大変驚きました。 まだらな金箔が残るお姿を想像していましたが、それとは違って、黒漆が表に出て綺麗な、お姿となっていました。 頭部の十一面の小さなお顔もきれいにすべて整っていました。 光背の円型の枠が金色に輝きとても観音様とマッチしていました。聖林寺の国宝の十一面観音像と大変良く似たお姿でした。

 十一面観音を前にして、住職からお寺の歴史と十一面観音像について法話をお聞きしました。 寺伝によると、お寺は飛鳥時代に天武天皇の勅願によって、義淵僧正が開基したとのことです。その後、聖武天皇の御願により744年(天平16)に、東大寺の良弁が伽藍を増築して、普賢教法寺と呼ばれたそうです。なお、十一面観音はもと普賢教法寺の旧仏で、天平16年(744)、良弁によって安置されました。東大寺二月堂の修二会の行事のとき、松明に使う孟宗竹を、普賢寺から東大寺に送る、竹送りの行事が復活した記念の石碑が建っていました。 

その後は興福寺の別院となり、藤原氏の帰依を受けて栄え、盛時は諸堂13、僧坊20余を数える大寺であったと言われています。しかし、1437年(永享9年)の火災で大伽藍は焼失しました。その後も再建されるも旺時の寺勢には及ばなかったそうです。

 境内には本堂(昭和28年再建)、鐘楼(昭和49年再建)、庫裏があります。本堂西の小高い丘に塔心礎が残ります。また、古瓦の断片が散見されます。

「南山城の古寺」という小冊子を購入しましたが、その最初に紹介されているお寺が観音寺でした。 黄色い菜の花と桜咲く田園風景の中にある観音寺の屋根を見て、春先にまた訪ねたいと思いました。

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大御堂への参道
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本堂
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本堂
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本堂前 観音寺説明板
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本堂前庭園
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大御堂前広場
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鐘楼
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鐘楼と子供達
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二月堂竹送り復活の地石碑
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2018年3月東大寺2月堂参籠所前
お水取りの行事で送られた竹

京田辺市普賢寺墨書
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童子が担いで登廊する竹 京田辺市丁田墨書
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