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円照寺

円照寺(えんしょうじ) 奈良市山町(やまちょう)1312
 臨済宗妙心寺派  ご本尊 如意輪観世音菩薩

円照寺は中宮寺・法華寺とともに大和三門跡寺院の一つに数えられる美しい尼寺です。
円照寺は、三門跡のうちでは歴史が最も浅く、江戸時代に創建された尼寺で、通常は非公開ですが、年に数回だけ山門が開かれるときがあり(奈良交通の定期観光バスツアー)、今回はお寺の関係者の案内で、茅葺きの本堂(円通殿)や奥御殿、枯山水の見事な庭園を二ヶ所案内して頂きました。

1641年(寛永18年): 後水尾天皇の第一皇女文智女王(梅宮)が、京都修学院に草庵を結びました。

1656年(明暦2年): 後水尾天皇中宮東福門院(二代将軍徳川秀忠の娘和子)から徳川幕府への進言により、奈良市矢島町の地に寺領200石(後に300石)を得て、移転して、八嶋御所と称されました。

1669年(寛文9年): 現在地に移転し、以後、住持は7代まで皇族によって継がれたので、山村御所(山村御殿)とよばれました。現在、華道山村御流の家元として知られています。

円照寺は、三島由紀夫の小説、『豊饒の海』に描かれた月修寺のモデルとなったお寺として知られています。

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円照寺バス停の向いが参道

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放生池
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黒門
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円照寺山門

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唐破風の玄関
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御朱印
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法隆寺西円堂鬼追式

 2019年2月3日は節分の日。法隆寺西円堂では毎年2月1日から3日まで、西円堂の本尊・薬師如来の前で、薬師悔過の法会(「西円堂修二会」)が行われました。この日は、あいにく雨になりましたが、鬼が投げつけた松明の火を消す役割の地元消防団の方々も雨に濡れて作業を行っていました。地元の岡本村の方々が、鬼役で薬師坊で接待を受けておりました。

この法会は1261年(弘長元年)から始められた「六時の行法」で、2月3日の夕方5時頃に結願の後に、夜7時頃から「鬼追式」(追儺会)が行われます。

鬼追式も1261年から始められたもので、日本でもっとも古い鬼追式であると言われています。 飛鳥時代から法灯が続く法隆寺ならではの古い行事です。鬼追式ではそれぞれ子供に誘導された3匹の鬼、黒鬼(父)、青鬼(母)、赤鬼(子)が持物を持って現われ、西円堂周辺で所作を繰り返し、松明を持って、参加者に投げつけるふりをします。最後に、毘沙門天が現れ鬼の魔性を降伏する所作を繰り返します。

鬼の面と持物は次の通りです。
 黒鬼: 父親鬼、三本の角がある。鉞(まさかり)を持ち、それを研ぐ所作を行う。算主から松明を受け取り、悪鬼の形相で参拝者 に向かって松明を投げる。
 青鬼: 母親鬼、面に角がない。宝棒を持つ。
 赤鬼: 子鬼、面に1本の角がある。 宝剣を肩に担いで現れる。
 毘沙門天:鉾を持って鬼を退治する。

7回半の鐘や太鼓
  7時になっても鬼は登場しません。 鐘や太鼓をけたたましく打ち鳴らす所作を、7回半行なわないと、鬼は登場しません。一回終了する度に、「○○回終了しました。あと△△回半です」とのアナウンスが行われます。このため、鬼が出てくるまで約30分かかりました。雨の中、参拝者は辛抱強く待っていました。

お田植行事でも7回半の所作が多く行われます。すぐに始まるようでは値打ちがないのかも知れません。桜井市で行われている、「お網祭り」では、仲人が、男性側に七回半御願いに行かないと、男綱はやってきません。

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とばりの降りた西円堂から飛鳥方面
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西円堂のまわりは金網で囲まれている
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薬師如来が安置されている西円堂
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薬師坊から鬼が登場
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鉞もって黒鬼登場
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鉞を手に松明を持って振りまわす
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青(緑)鬼(母親役) 登場
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赤鬼(子鬼) 宝剣持って登場
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毘沙門天が鉾をもって現れ鬼退治
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小山田遺跡(小山田古墳)第10次調査現地説明会

 2019年2月3日(日)橿原考古学研究所による明日香村小山田遺跡の第10次調査現地説明会に行ってきました。午後に雨となる予報でしたので、午前中に現場に行ってきました。小山田遺跡では2015年の掘割の検出(本ブログ記事参照)以来、巨大な方墳であることが確定しています。 今回の調査区は方墳の西辺部であり、墳丘部分を発掘して、その構造を明らかにし、古墳の範囲を確定することを目的としています。

今回調査区(赤色の部分)
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今回の調査によって、次のことがわかりました(説明会パンフレットより)。

1.墳丘盛土
  幅約1.3mを単位として盛土の作業をしている。盛土は砂質土と粘質土を用いている。盛土の厚さは10cm程度。
2.墳丘外表施設
  墳丘西辺も室生安山岩と結晶片岩を用いた板石積であったが、全て除去され破片だけが土に混じっている。古墳築造時期は7世紀中葉で少なくとも7世紀後半頃までの間に、板石は除去されたと見られる。
3.土器棺墓
  墳丘裾部が埋没しはじめた頃に造られた土器棺が出土した。7世紀後半から8世紀初頭頃に埋納したとみられる。
4.方墳の中軸線から墳丘盛土裾部までの距離は39.7mである。これを2倍すると、東西幅は計算上約80mとなる。
5.今回調査区の墳丘盛土裾部の基底の標高は113mであった。過去の調査で墳丘北辺板石積基底の標高は115mであった。  これより、墳丘は北から南へ向かって低くなっている。
6.墳丘北辺の長さは計算上72m、今回の調査で南辺は計算上80m越えることが予想される。

なお、古墳の被葬者について、舒明天皇の初葬墓とする見解や、蘇我蝦夷の大墓ではないかとする見解があるようです。

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現地説明会入口
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現場付近の等高線入り地形図
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現地説明会場パネルと説明員
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墳丘盛土断面オルソ画像(写真のゆがみを補正して作成した画像)
 一番右端が地山で、その上に墳丘盛土があり、一番上は後世の堆積土。どの現場の写真か分らなかった。
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墳丘構築法(板石を貼り飾る)
 左写真は5・6次調査。25度傾斜の地山の上に板石積裏込め盛土がある。
 右写真は今回調査墳丘盛土面。5・6次調査で見つかった北辺の掘割溝は2段の石敷構造。盛土斜面の一番下は青色の結晶片岩。その上は室生安山岩の板石積。 今回の調査で、5・6次調査で見つかった北辺と同様の掘割構造が、西辺にもあったと推定される。
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発掘現場・墳丘盛土など
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土器棺墓
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墳丘を構築した盛土
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現場付近校舎
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東の山々
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古墳北辺掘割はこの校舎の下?
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西辺発掘現場
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出土した室生安山岩(榛原石) 板石
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結晶片岩(緑泥片岩) 板石… 吉野川流域で採れる石
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金堂壁画焼損自粛法要

 今から70年前の1949年1月26日に法隆寺金堂壁画が焼損し、収蔵庫に収納されて以来、毎年1月26日に、10時から収蔵庫で金堂壁画焼損自粛法要が行われ、その後、11時から、聖霊院前で広域の消防署による消防訓練が行われ、鏡池で放水訓練が行われています。

 しかし、今年は昨年末に屋根瓦の葺き替え工事が完了した中門前で避難訓練が、行われ、文化庁長官や消防庁審議官はじめ多くの関係者の前で、放水訓練が行われました。

今年は金堂壁画焼損70周年を迎え、2015年から「法隆寺金堂壁画保存活用委員会」(4つのWG,文化庁、朝日新聞社後援)が3年かけて調査してきた中間調査結果が1月27日に公表されました。朝日新聞の記事によれば、今後、焼損壁画の収蔵庫の一般公開に向けて、明るい光がさしてきたとあります。夏期大学のときは現在でも見学が行われていますが、一般公開となると、色々と問題も多いようです。

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中門前 (報道関係の脚立、仁王像にはビニールの覆い)
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避難者
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火災発生、消防出動
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放水の開始
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あたりは水浸し
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カメラマンも退避
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大神神社に参拝

  桜井市に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)は、日本最古の神社の一つです。ご神体が三輪山(467.1m)で、拝殿(重要文化財、徳川家綱造営)から三輪山を拝みます。 拝殿に上り正式参拝をしました。宮司が祝詞を奏上し、神のご加護がありますようにと、祈願をして頂きました。 その後、二人の巫女が舞を奉納しました。巫女が振り鳴らす鈴の音は、川のせせらぎのように涼やかな、音色でした。

 三輪山山頂には奥津磐座(おきついわくら)、中腹には中津磐座(なかついわくら)、山麓には辺津磐座(へついわくら)があり、それぞれ御祭神の大物主大神(おおものぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこのかみ)をお祭りしています。 三輪山へ登拝する場合、登山口がある狭井神社で受付を済ます、必要があります。 大変急登ですのでウオーキングシューズが必要です。

大神神社では現在JR三輪駅東側に平成第二期大造営の、直会殿を建設中で、直会殿の中には、500人収容の能楽堂も造る予定で寄進を募っています。総工費32億円だそうです。JR三輪駅周辺は街並みが整備されます。

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二の鳥居
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松並木参道
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階段と標柱
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拝殿(重要文化財、徳川家綱造営)
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第二期平成の大造営
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